同人野郎のデイドリーム編

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台詞途中の俺は迫撃弾が起こした巨大な爆発によって勢いよく跳ね飛ばされた。そのまま土手とは反対側に落下し、近くの林に転がりこむ。ヘリのライトが頭上の木々を反射し、俺の存在を確認した。後数分もすれば武装したスワット?隊員達がなだれ込んでくるだろう。しばらく考え、体の何処にも深手な損傷がない事を確認した後、俺は携帯を手にした…  とようやくここで冒頭の会話に戻る訳だ。携帯を切られた俺は苦笑いのまま、少し考える。確かに反省点はある。これくらいの表現なら。大丈夫!どうせそんなに視聴回数も上がんないし、少しくらいのエロなら伸びるかもと浅はかな考えもあったかもしれない。 “狂うJAPAN”の現象以降、いや、以来から繁栄したネット環境やアニメブームを含め、誰もが創作者になれる時代、その媒体や表現手段の多様化に?のまれ、一平凡になりたくない焦りが過激な表現や媒体を加速させている。こうしている今も辺りが騒がしいのはその 証拠だ。 「みんな、同じ事を考えてるよな?」 誰もが一番になりたくて、島から壁へ、そして最後は商業という公式へ!焦り、もがき、 何度も倒れ、現実に打ちのめされ、それでも進む。文字通りの戦場を! 血を吐き続ける マラソンを続けていくのだ。そこに救いがあるとは思えない。結局は駄目で、夢叶わず、 散っていくのが大抵のお決まりコース。所詮、アリころが象には勝てないなんて言う奴も いる。 「だけど、それがBADか?」 夢破れた者達の人生が終わったものだとは思えない。アリころが象に勝てないなんてのは言い訳だ。創作を主とする同人野郎ならそんなBADを変える展開を考えてみせろ!ってもんだ。媒体や表現手段の多様化が生み出したのは、創作活動の入りやすさだけではない。フォロワーにいいね!にブックマーク、 コメント、誰かが付けてくれたタグ。サークルのお誘いにフレンド申請。“公式”という 一つの夢を叶えるだけじゃない、様々な夢の到達点“TRUEEND”とそのための方法を生み出してくれた。例え、閲覧回数が1でもいい。イベントで1部本が売れる。それでもいい。世界の何処かで、誰かが一人でもいい、自分の表現を、自身の存在を認めてくれる。 充分だ。それが戦う理由に、夢の叶える次の道と可能性を示してくれる。この世界にもがき、血みどろになりながら走り続ける理由になっていく。
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