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人通りに交じって歩く商店街はこれといって際立つ店もなく、ごく普通の大通りだった。駅から一本道だから迷う心配もない。あてどなく歩きながら、ふと立ち止まった。右手に、店と店の隙間かと見間違いそうな、細い脇道がある。そっと覗くと、数歩ほどの暗がりの奥に、上へ向かって延びる階段が見えた。
「あ。」
更に目を凝らすと、階段の一番下の段には小さな黒板が立てかけてある。
『店長イチ押し 本日のおすすめスイーツ レモンとあんずのミニタルト』
掠れた線を何度も塗り重ねたような、白いチョークで描かれた文字が、薄暗がりの中で淡く浮き上がっていた。
狭くて急な階段に息が上がる。何とか登り切ると、目の前に木の扉が現れた。木目が飴色にくすみ、いかにもレトロで年月の分厚い堆積を感じさせる。真鍮の取手は周囲を建物に囲まれた陰の中で鈍く輝いている。手の平で包み込むと使い慣れたシャーペンのようにしっくりと馴染んだ。心地よい重みを押し開けると、中と外の空気が混じり合い、頭上のベルを揺らめかせた。
「いらっしゃいませ。」
カフェ特有の抑えた照明に、眠りに落ちる寸前のように視界が暗くなる。耳元で風が吹きぬけるような声を頼りにテーブルとテーブルの間を縫うように進む。明るい茶とオレンジを混ぜたような照明の下、そこかしこで押し殺したようなしゃべり声が聞こえてくる。ひっそりとした佇まいのわりにお客は結構いるようだ。窓際の二人席が一つ空いていたので、そこに腰を下ろす。
「どうぞ。」
目の前に細く丸められた白いお絞りと、グラスに注がれた水が置かれる。店員はミエを一呼吸見下ろした後、お決まりでしたらご注文をお伺いします、と告げた。テーブルの端に目をやると、写真立てのようなメニュープレートに見覚えのあるメニューが記載されており、こちらをひとつ、と指で示す。飲み物はと問われ、何も考えず咄嗟に紅茶を、と口にする。伝票に書き込む店員の手元を見つめながら、コーヒーにすれば良かったかな、と少しだけ申し訳なく思った。
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