二章 憧憬

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 (3)  帰宅した僕が居間を覗くと、サクラと伶花さんがコタツで呑気にテレビを見ていた。  画面の中の男性アイドルを指差してああでもないこうでもないと勝手な批評を繰り広げているようだ。 「……ただいま」 「おお、ご主人帰ったであるか」 「あ、夢路くん、おかえりー」  ミカンを片手にはたはたとこちらへ手を振る伶花さん。 「……えっと……はい」 「いやー最近のアイドルって私の知ってる頃から随分様変わりしたのねぇ」 「まあ、そりゃ衣装とか髪型とかは確かに変わってきてると思いますけれど」 「農業とか無人島でサバイバルとかしなかったもん」 「……それは、まあ例外的なのでは」  しかし何だ。  まあ、年上の人だからいいんだけど……我が家の空間への溶け込み方が自然過ぎる。  昨晩が実質の初対面だったとは思えない。  サクラも相変わらず人型のままなので、だらしない姉が一気に二人増えたような光景である。 「サクラ、爺ちゃんと婆ちゃんは?」 「宗一郎殿は正月の祭礼関係の会合とやらで商店街へ行っておる。洋子殿は台所であるな」 「そっか、ありがとう」  僕は居間へは入らずそのまま台所へ向かった。 「婆ちゃん、ただいま」 「あら夢路さん、お帰りなさい。晩御飯はもう少し待ってて頂戴ね。宗一郎さんが戻ってきたら揚げ物やりますからね」  今は出汁と醤油の香りのする手鍋で切り干し大根を作っているようだ。 「何か伶花さん、すんごい馴染んでるね……」 「ふふ。サクラさんとも咲さんとも違うタイプで、見ていて楽しいわね」  ……流石、寛容さが服を着て歩いている人は一味違う。  僕は冷蔵庫から出した麦茶を少しコップに注いで喉を潤してから、婆ちゃんに尋ねる。 「婆ちゃんは伶花さんの事、気になったりはしないの?」 「気になるって?」 「どういう理由で、ずっと昔に亡くなったはずの人が昔の姿で現れたんだろうなって」  正確には現れただけでは飽き足らず、幽霊か妖かもわからないままウチの居間で猫妖怪と一緒にテレビを見ているわけだけれど。 「さあ、どうしてかしらねえ」 「圭一さんの昔の想い人って事は、この前チラッと話に出た人の事でしょ? 婆ちゃん達も伶花さんの事ちょっとは知ってるんじゃないの?」 「うーん……でも私と宗一郎さん、あの頃結婚したばかりでバタバタしていたから。圭一さんが一目惚れしたお相手だって言う事は知っているしアイレンで何度かお会いした事はあるけれど、伶花さん個人とは特別に交流が深かったわけじゃあないの」 「あ、そうなんだ」  言われてみれば伶花さんも爺ちゃん婆ちゃんに対する態度は圭一さんに対する態度と比べれば一歩引いていると言うか、旧知の人と言う雰囲気は感じられないし、そもそも当時の自分が会った事がある人物としての認識がないのかもしれない。  いくら婆ちゃんが若々しいとは言っても、二十歳前後の頃と現在とでは印象も違うだろうし、会ったことがある程度では多分わからないんだろう。  ……ん?  その割に目覚めた時圭一さんの事はよく一発でわかったな。  圭一さんが余程昔の面影を残しているのか、それほど仲が深かったのか。 「どうかしたかしら?」  考え込んでいる僕の顔を婆ちゃんが覗き込む。 「ああ……いや、何でもないよ。じゃあ僕、御飯まで上でテスト勉強してるから」 「ええ。できたら呼びますからね」  あれこれと考える事はできるけれど、いずれにせよ手持ちの情報が少なすぎて邪推の域を出そうにない。  そもそも当の本人が全く悩んでいないように見える以上周囲が必要以上に気を遣っても仕方ない気もするし、それであれば現状二週間後の期末を無事乗り切る事の方が僕にとっては緊急性が高い話である。  平和な冬休みを迎えるため、僕はまた試験範囲と格闘する事にしたのだった。  夕食後も一応机に向かってはいるものの、思うように捗らないと集中力も途切れてくる。  何度かは背伸びをしたりして誤魔化していたものの、暖房で程よく温まった空気が逆に足枷になっている気がする。 「少し開けるか……」  眠気を覚ますために換気をしようと立ち上がって三分の一ほど窓を開け―― 「どうせ私くらいしか出入りせぬのだから鍵は開けておいて欲しいものである」 「おおおおおおおびっくりした……!」  窓の下からいきなりサクラが顔を出したのに驚いて数歩後ずさった。 「……何でわざわざ外から入って来るんだよ。下でテレビ見てたんじゃないのか」 「社殿にちと用があった故、戻り際にご主人の様子を見ようと思ったのである」  サクラはそう言いながら部屋の中へするっと入ってくる。  相変わらずの人型形態である。 「このナリで長時間居ると肩が凝って仕方ないのであるな」 「なら猫の姿に戻ってればいいじゃないか」  窓を閉めて椅子に座り直し尋ねると、 「フフン、こちらの方がご主人をからかいやすいのである」 「……馬鹿な事言ってるんじゃない」 「霊力も夏と比べて大分回復した故、霊気体の“ないすばでぃ”っぷりも向上しているのである」  ニッと笑って僕に近付くと頬を突こうとしてきたので、僕は机の上に置いておいた猫缶をベッドの方に放り投げた。 「にゃんとーッ!」  そのまま宙を舞った猫缶を空中でキャッチすると、綺麗にベッドの上に着地して、そのまま缶を開けてがっつき始めた。  見た目が変わろうと中身がこれでは猫又の伝承に見られるような妖艶さのかけらもない。 「うむ……夜食には……鶏肉をたっぷり……使った……モノがやはり……良いであるな」 「……わかったから食いながら喋るんじゃないよ……」  サクラはあっという間にそれをたいらげると、満足そうにベッドの上でゴロゴロし始めた。  見事な怠惰を体現した一連の所作である。 「まあソレはソレとして……今は術式を継続的に使っている故、こちらのほうが微調整がしやすいのであるな」 「どういう事?」 「伶花の身体は霊気体故、安定させるためにはまだ色々と配慮が必要なのである」  あんなに元気そうに見えて、まだ回復したわけじゃないのか。 「妖とは陽なり陰なり、人の世に溢れ出た気を取り込んで霊格を維持しているのは存じておるな、ご主人」 「サクラが信仰なんかに根差した陽の気をウチの敷地で集めて、霊獣として力を保ってるってやつだろう?」  逆に俗世の恐怖や恨み、疑心なんかの陰の気を糧に力をつける妖怪と言う物とも僕らは夏のあの時に出会っている。 「うむ。伶花も万全であれば本来自力でそのあたりを賄えるはずなのであるが、まだ中々上手く行かぬようである。故にもうしばらくは私が補助してやる必要があろうと思われる」 「ああ、だから今日も伶花さんと殆ど一緒にいるのか」 「フフン、ご主人さては寂しくなったであるか」 「馬鹿な事言ってるんじゃない」 「古来より猫の添い寝によるぬくぬく効果から人間は逃れられぬ故、恥ずかしがらずとも良いのであるぞ」  自慢げな表情で胸を張るサクラをジト目で見ていた僕は、ある事を思い出す。 「まあ伶花の方が落ち着いたらまたこちらに戻ってきてやる故――」 「――そう言えばお前、昨日の晩の話聞いたぞ」 「むっ?」 「酔った勢いで僕の寝言を日野さん達にばらしただろう」 「あー……その様な事もあったような、無かったような」 「僕自身だって何言ってるか知らないのにお前ーッ!」 「むおお、顔をムニムニするのはやめるのである」  猫形態と違って人型形態ではあまり顔の皮が伸びないようだ。 「まあいずれにしても、もう暫くは私がついて回って様子を見る故、伶花の事はこちらに任せてご主人は勉学に励むがよかろうなのである」  そう言ってサクラは僕の机からもう一つ猫缶を接収すると、そそくさと部屋を出て行った。  旗色が悪いと判断して逃げたなアイツ……。 「――さて」  伶花さんの事はとりあえずサクラに任せる事にして、僕は目の前の事に集中しなければ。  冬休みに補修課題など喰らってしまったら目も当てられない。  ……何だかんだしているうちに眠気もある程度霧散したので、僕は気を取り直して机に向かう事にしたのだった。    
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