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状況に変化があったのは四日後の事だ。
「アイレンに?」
「うん。さっき学校出る前に婆ちゃんから『帰りに寄ってみなさいな』ってメッセが来たんだよ」
北鵜野森へ向かう上り坂を歩きながら、二人してスマホの画面を覗き込む。
「何だろう」
「文面からして深刻な話じゃなさそうだけれど」
婆ちゃんからのメッセージには、ご丁寧に喋る猫のスタンプまで付いている。
「……この猫スタンプ、ボイス付きの出てたのか」
「若い」
婆ちゃんの若さの秘訣は、この精神性にこそあるのかもしれない。
「……若いって言えば、伶花さんも本来なら婆ちゃん達と同年代くらいなんだよなあ」
ここ数日の我が家での行動を見ている限り、帰郷した女子大生がひたすら実家でダラダラしているみたいな絵面にしか見えなかったので錯覚しそうになるけれど。
「伶花さんの場合はちょっと違う様な……この前の話だと、気付いたらいきなり今の時代だったような口ぶりだったし」
「あー……そうか。なら精神的にもあの見た目通りなのか」
記憶がひどく曖昧みたいだから、その辺り実際の所どうなんだか定かではない。
当該本人まさしくその人なのか、そうでないのか。
幽霊なのか、妖なのか。
霊気の性質から見て害を為す存在ではないと言うサクラの判断を信じて我が家に居て貰っているのだけれど、結局のところ事の真相に近付く情報が何も得られていないと言うのも事実である。
「あれから伶花さん、どう?」
日野さんが考え込んでいる僕の顔を覗き込みながら聞いてくる。
「どう……って?」
「例えば自分の置かれた状況の特殊性を不安に感じてるとか……」
「テレビ見てる」
「……テレビ」
「僕が目撃した限り、歌番組とバラエティ番組が多いかな」
「…………」
眉間に指をあててウンウンと唸っている。
日野さんなりに伶花さんの心情についてあれこれと心配しているのだろうけれど、当の本人があの状況だからなあ。
「まあ、後で実際話して見ればわかると思うよ」
「うん……そうだね」
当人の話も聞かない内からあれこれ勝手に想像していても仕方ないと言う事で、僕らはとりあえずアイレンに立ち寄ってみなさいと言う婆ちゃんから来た文面の意味を先に確かめてから、家で伶花さんと雑談がてら身の上の話もしようかと言う流れになった。
――のだが。
「はーい! いらっしゃいまっ……何だご主人達であるか」
いつもの着物の上からエプロンをつけたサクラが、僕らの目の前に立っている。
「……お前……何してるんだ?」
「フフン、見ての通り接客である」
ええと……どういう事だ、これは。
店内を見てみると、こう言っちゃ何だけど普段お客なんてそんなに沢山居ないのに、今日はやけに人が居る。
「あっはは。やあ、二人ともいらっしゃい」
カウンターの中に居る圭一さんが笑う。
「夢路君おかえりー。あ、咲ちゃんもいるんだね」
圭一さんの隣で伶花さんが手を振っている。
僕と日野さんはカウンターに座って圭一さんの方へ身を乗り出す。
「何がどうなってるんですか」
「詳しく」
「ま……まあまあ二人とも。とりあえずご注文をサ」
どうどう、と僕らを落ち着かせてメニューを手渡して来る。
「じゃあ私、マンデリン下さい」
「咲クン中々大人なチョイスだネ」
「……僕も、同じのを」
「夢路クン。マンデリンて、ほろ苦さを楽しむやつだけど大丈夫? シロップ要る?」
「何で僕にだけ確認するんですかね……」
「え? いやァ、だって、ねぇ?」
お子様舌で悪うございましたね。
隣で日野さんもあっちを向いて何だかちょっと肩を震わせ始めたので、笑いを堪えている節がある。
……むう。
カウンターの奥へ行った圭一さんと入れ替わりに伶花さんが僕らの方へ寄って来た。
「どう? 中々盛況だと思わない?」
「……盛況はいいですけど、何してるんですか」
「んー、来週からここの二階の一部屋を間借りできる事になったんだけどね。それまで夢路君の家でテレビばっかし見てるのも流石になんだしさ、圭一君のお店手伝おうかなって思ったんだよね」
「……いつのまにそんな話に」
「今朝方圭一君が宗一郎さんの所に話しに来たの。でさ、宗一郎さんのあの難しい顔で『覚悟はあるのか』なんて言われてて」
「何で同年代相手に交際相手の父親みたいになってるんだ爺ちゃんは」
僕がこめかみをおさえて唸っていると、伶花さんはカウンターに頬杖をついてニカッと笑う。
「でもさ、悪い気はしないもんだよねぇ」
惚気か。惚気なのか。
現状自分の境遇もよくわかっていないにもかかわらず圭一さんに全幅の信頼を置いている事に驚くばかりだ。
「だよねぇって言われても……大人の話は僕にはまだよくわかりませんよ」
「あらぁ、夢路君だって他人事じゃないでしょ? もう何年かしたら本物のお義父さん相手にそれやらなきゃいけないかもしれないんだし」
「――え」
「ねぇ? 咲ちゃん」
「――え」
伶花さんに言われて僕らは二人してしばし顔を見合わせ、
「痛い痛い痛い!」
顔を赤くした日野さん何故か手の甲を抓られた。
「……それで」
抓られた手をさすっている僕の横で、日野さんが質問の続きを切り出す。
「伶花さんがお店を手伝っているのはわかりましたけれど、サクラは」
サクラの方へ目をやると、
「二番卓“ほっとてぃー”二つ追加である!」
ボックス席に座った町内の高齢者層と楽し気に談笑しながらしっかり追加注文を取っているようだ。
あの独特の喋り方と和装の妙な取り合わせがウケているのだろうか。
「お客が入れば多少のバイト代も出せるって言うからさ。とりあえずサクラちゃんをダシにして呼び込みしたら興味半分で結構お客さん来てくれて御覧の通りなワケ」
「はあ」
「けど、よくあの気紛れが働く気になりましたね」
「何か、稼ぎがあれば高い猫缶がどうのこうのとか言ってたけど」
……そう言う事か。
「この勢いで今度はメイド服? ……とか言うの着てもらったら売上爆上がりな気がするんだよねえ」
「何屋にするつもりですか……」
「はい、二人ともお待ちどうさま」
圭一さんが僕らの前に注文したコーヒーを置いてくれる。
……僕の方にはご丁寧にシロップが二つとミルクまでついてきた。
「そう言えば圭一さん。この前教えて貰ったCD、この間駅前のお店で見つけました」
日野さんがコーヒーを啜りつつ、先日駅前で買っていたCDの話を始める。
「ん? ああ、“マイ・フーリッシュ・ハート”かい?」
「はい。……改めて聴くと、やっぱりとても素敵な曲でした」
「ンッフフ。そりゃあ何よりだネ」
そう言って圭一さんがリモコンを操作すると、少しして店内にスローテンポのピアノの音色が流れ始めた。
この前聴かせてくれた曲だったので僕も何となく憶えている。
インストアレンジのその曲に僕らが耳を傾け始めた時、
――The night is like a lovely tune.
Beware my foolish heart.
How white the ever constant moon――
その歌声はスピーカーからではなく、僕らのすぐ傍から聴こえ始めた。
伸びやかで、でも少し儚げで。
楽しそうで、でもどこか戸惑いも含んでいて。
店に居た他のお客さん達も含め僕らはその曲が終わるまでの間、伶花さんの口から紡ぎ出される魔法の様な歌声に釘付けになったのだ。
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