三章 覚(サトリ)

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 (2)  目を閉じても凝らしても、時間は関係なく移ろいゆく。  僕らは今日も、慌ただしく日々を送っている。  冷たさを増した空気に少しだけ身をかがめて、師走の忙しさに急かされるように少し小走りで。  期末考査最終日の数Ⅱと物理を終え、どうにか難局を乗り切った僕が机に突っ伏していると、日野さんから声がかかった。 「テスト、大丈夫そう?」 「多分、何とか……日野さんのおかげだよ。ありがとう」 「なら、良かった」  当の本人は涼しい顔なので問題ないのだろう。 「もう来週にはテスト返却から終業式まで一気に来るのかぁ。補修とかにならなくて良かったけど」 「朝霧君、休みの間はどうするの?」  筆記用具を鞄にしまいながら、日野さんが冬休みの話題を振って来た。 「うーん、三が日は初詣の対応でずっと駆けずり回ってるだろうし、年末からその準備だとかで何だかんだ家に居るだろうからなあ」 「鵜野森神社の初詣って、どのくらい人来るの?」 「どのくらいだろう……鵜野森と鵜原一帯で神社らしい所がウチしかないから、実際あの境内が三日間満員状態なんだよね」 「……そんなに」  正月の北鵜野森町商店街は普段とは異なる姿を見せる。  西鵜野森から続く坂を上がった商店街の入り口から鳥居の下まで出店が並び、境内は参拝客でごった返す。  爺ちゃんは近隣の企業や個人問わずの祈祷、婆ちゃんは町会の人手を借りながら雑多な仕事を一手にこなす怒涛の三日間である。  僕もその手伝いをここ何年もやっているけれど、年々商店街の人達の平均年齢も上がってきているので若い人手が欲しいなんて話も最近ではよく聞く様になってきている。 「とりあえず、決まってる予定はそのくらいかな」  それでも、まあ。  正直、長期休みくらいは……その、日野さんを誘ってどこか遊びに、と言う気持ちも内心僕にもあるわけで。 「……日野さんの方は、予定決まってるの?」 「私は、バイトが何日かあるくらい」  よし、それなら思い切ってどこか誘ってみようか。  改まって考えたらちょっと緊張してきたけど焦るな焦るな、落ち着いて……。 「えっと、じゃあ二十四日……とかは?」 「二十四日は、朝霧君の家に呼ばれてる」 「あーそっかぁ予定入っ……ん?」 「?」 「ウチ?」 「うん」 「いつの間に……」 「洋子さんと、この前お夕飯作ってた時に」 「……」 「家はお父さん帰って来るの毎年二十八日とかだし、クリスマスは何年も一人だったって話したら、じゃあ今年はみんなでケーキ食べましょうって」 「……成程」  思わず苦笑してしまった。  夏の一件以来何というか……僕がどうこうするでもなく既にその辺りの予定が決まっているあたり、僕が思っている以上に我が家全体にとって日野さんの存在は大きくなっているのを再認識させられる。  確かに正直、二人でどこかって言う話じゃないのを残念に思う気持ちもあるのだけれど。  でも、きっと。  本来今の彼女に必要な事は、そういう家族の団欒みたいなものだ。  今年はサクラも居る事だし、賑やかなクリスマスはきっと良い思い出になる。 「そう言えば……僕の家もずっと爺ちゃん婆ちゃんと三人だったから、特別クリスマスでパーティとかやった記憶ないんだよね。僕がうんと小さい頃……両親が居た頃はやってたかもしれないけど。あとほら、一応神社だし」  堅物の爺ちゃんがそう言うの乗り気じゃない反応をしそうではあるけれど……。 「洋子さんが宗一郎さんに話してたけど、別に構わないって言ってたよ」  ……根回しが早い。  それにしても……爺ちゃんも夏以来、随分と融通が効くようになってきたなあ。  まあ爺ちゃんも難しい顔して口に出さないからわかりづらいけれど、何だかんだ日野さんの事は気に入っているみたいだし。 「あとは……」  日野さんが少し考えるような素振りの後、 「伶花さん達も、一緒に祝えたらって思うけれど……」 「……そうだね」  サクラの話によれば伶花さんは翌日からまた店に出て来てはいるみたいだけれど、何だか考え事をしている事が多くなったらしい。  自分の足元が見えない事の不安を持ち前の明るさで打ち消そうとしているのだとしたらと思うと忍びないし、尚更何のけなしに話題を振ってしまった自分の思慮の及ばなさが情けない。 「後で、お店行ってみようか?」 「うん」  無事期末テストも終わった事だし、伶花さん達の様子を見に行ってみようかと言う事になった。 「朝霧君、あれ」  昇降口を出た所で日野さんが正門の方を指差す。 「どうしたの……って」  正門を出てすぐの所に、見覚えのある姿が二つあった。 「サクラ……と、伶花さん……?」  こちらに気付いた様子の二人が手を振ったので、僕らは顔を見合わせて正門の外へ急ぐ。  黙っていれば和装の麗人と言えなくもない人型形態のサクラは下校中の生徒からも目を引くようで、チラチラとサクラの方を気にしながら出てくる生徒達も多い。 「おお、ようやく出てきよったであるな。学業ご苦労である」  本人は全く気にしていない様で、カラカラと笑っているのだけれど。 「こんな所で二人して何してるんだ」 「うむ。『てすと』とやらも終わりであろうから、ご主人達を誘って町に繰り出そうと思ったのである」 「お前、アイレンでのバイトはどうしたんだよ」 「んっふっふ、案ずるでない。サボりではなく正式な休みである」 「あっはは……二人とも、いきなりごめんね」  サクラの背後に隠れるように立っていた伶花さんが苦笑しつつ顔を出す。 「圭一君にたまには気晴らしでもしてきなさいって言われてサクラちゃんと一緒にお休み貰ったんだけど、今の鵜野森町全然わからなくてさ。……それで、案内頼むのも兼ねて二人も誘おうかって話になって、ね」 「そうだったんですか……いや、僕らもアイレンに様子見に行ってみようって話してたから丁度良かったって言えば丁度良かったんですけど」 「え? そうなの?」 「先週末以来、伶花さんの様子が気になっていたもので」  僕が頬を掻きながら言うと伶花さんは少し驚いた様な顔になり、ややあってニヤリと意地の悪い笑みを浮かべた。 「あらぁ? 駄目よ夢路君、私には圭一君が居るんだから」 「……茶化さないでくださいよ。これでも心配してたって言うか……その、自分でも配慮の足りない話振っちゃったなって気にしてたんですから」 「はーいはい、わかってますよ。全く、君ってばまだ学生のクセに変に大人に気を遣うんだから。でもありがとね」  そう言ってはにかんで、伶花さんは器用に片目を瞑る。  思わずドキリとしてしてしまったけれど、呆けていたらジト目の日野さんに手の甲を抓られた。 「いたいいたい」 「それで、二人は具体的に行きたい所とかあるんですか?」  僕の手の甲を抓ったまま日野さんが伶花さんとサクラのリクエストを尋ねる。 「無論猫缶しょっぴんぐである!」 「私は色々見て回れればいいかなあ。昔と結構町並み変わってるみたいだから」 「じゃあ……駅前で買い物かな。あの辺りなら一通りあるし」 「あ、賛成。服も少し買いたいと思ってたんだ」 「うむ、私もまだ見ぬ新作猫缶を発掘するのである」  二人と一匹の女性陣であっという間に方針が決まり、僕らは駅のある南鵜野森方面へ歩き出した。 「……あのー、日野さん?」 「何?」 「手、抓られたまま……なんだけど」 「朝霧君は、少し反省が必要」 僕らのやり取りを見ていた伶花さんが耐え切れずに吹き出した。 「あっはっは、学生のうちから尻に敷かれてるねぇ、夢路君は」 「し、敷いてません」 「いやいや咲ちゃん、そのくらいで女は丁度いいのよ?」 「……そうですか」  ……丁度いいのか?  そんなささやかなツッコミさえもこの顔ぶれの前では口に出せそうになく、僕は冬の空に向かってこっそりと溜息をついたのだった。
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