鵜野森町あやかし奇譚 追憶・桜花の約束、陽光の少女(1)

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鵜野森町あやかし奇譚 追憶・桜花の約束、陽光の少女(1)

「——じゃあ、さ」  あの日。 「なろうよ、友達」  屈託のない笑顔で私に向かって手を差し出した彼女の笑顔は。  百年を超える私にとっての、生きる標となった。  鵜野森町あやかし奇譚   追憶・桜花の約束、陽光の少女  第壱回 流浪の果て  1  眼下に広がる人間の町を、ビルの上から見下ろしていた。  都心からやや離れた郊外に在るこの町は、夜になると幾分の静けさに包まれる。  それでもここ最近の人間達の宅地開発の流れに乗ったのか、鉄道駅の北側に在る昔からあるであろう町並みとは対照的な新興住宅地が、南側の湿原や雑木林であった場所を次々と呑み込んで拡がっている最中であるらしい。 「ふむ。片田舎と言えば片田舎であるが……どうして中々」  懐から出した一枚の紙切れに指をあて、精神を集中する、 『――眼に見えぬ元津気は百不八十の神気を生給い 眼に見える物は日の御国 月の御国 星の御国――』  呪符から発せられた霊気の輪が、力ある言葉に応えるように同心円状に広がっていく。  周辺一帯の霊気の分布を探知する術法である。 「……やはり南の新しい町の方は乱れが多いであるな」  永く人の手の入らなかった土地が急激に開発の波にのまれると、土地の自然が持つ力が適応しきれず霊脈に淀みが溜まるようになる。  そういった場所は成仏する前の低級霊等を取り込み「よくないもの」へと変貌させてしまう事が少なくない。  所謂、魑魅魍魎の吹き溜まりのようなものだ。 「北側の方は……ふむ、よく整っておる。あの丘の上に見えるのは神社であるか……成程」  このあたりに高名な大社の名は聞いたことが無かったが、力のある者も居る所には居るらしい。 「まあよい。南側の方までは手が回っておらんようであるし……あちらは私の縄張りとさせてもらうとしよう」  私は呪符を懐へしまい、大きく一呼吸をする。 「さて……」  大きく、ビルの淵から、夜の空へと身を躍らせた。  ビルからビルへ、一足飛びに空を駆ける。  南部の新市街からそこかしこに感じる淀み。  対称的に北部の安定した霊脈の流れによって供給が期待できる豊富な霊気。 「重畳重畳。しばらくは食うに困る事もなさそうであるな」  霊気の供給は私のような人ならざる者にとって、その霊格を維持するために必要不可欠である。  そう言う意味に於いてこの町は活動しやすい場所と言えよう。  とは言え、私の本体は長い時を生きた猫の妖である。  難儀な話ではあるが、神秘性を差し引いた身体の維持には普通の生き物と同じく実体の在る物で腹を満たさねばならないのである。  そしてこの町の様に手付かずだった湿地帯を開発した土地と言うものは、私にとってうってつけの「商売」が成立する土壌があった。  魑魅魍魎の湧いた宅地と言うものは、そこに住まう人間の体調に変調をもたらす。 更に言えば、ちょっと霊感の働く人間には「見えて」しまうこともある。 人間の社会にはそうした物件を抱えて困り果てる不動産屋なるものが存在しており、世間体から表に出せないそうした問題を「依頼」として解決してやる事で私は糧を得ているのである。  都心では霊気の補充もままならなかったために本体である猫の姿で活動していたが、ここでは節約を気にする必要も無い。 「いざ、豪勢な食事のために……!」  私は早速この町の不動産屋から調達した地図を片手に、明日からの食生活の算段を始めていた。  鉄道駅を中心に描かれた地図に書かれた文字。  鵜野森町周辺図。  ――鵜野森町。  百年以上にわたる放浪の中、私がこの時しばしの塒にするべく訪れた町の名であり、その後も深く関わり続ける事となる町の名である。  2 「……っと、ここであるな」  鉄道の駅周辺を除けば界隈で最も階高のある、所謂「まんしょん」とか言う集合住宅。  以前は湿地と、林の中の池であった場所らしい。 不動産屋の話ではこの一帯の宅地の例にもれず「地盤改良」とか言うものを施されたらしいが、この直下を通っている霊脈が開発によって乱れたため、淀みが生じたようである。 「さて。問題の階は……」  私は十四階建ての建物の外階段を上り、不動産屋の悩みの種となっているらしき四階の共用部分へ足を踏み入れた。 「……ふむ」  なるほどなるほど。 「ま、これだけ集まれば多かれ少なかれ近くに住む人間には影響も出よう」  そこかしこに、さして力もない霊体の姿が見える。  霊脈の淀みに取り込まれた低級霊の複合物。  人の間に語り継がれた伝承の具現化たる意思を持つ神霊や妖とは源流を異にする、在り方の定まらぬモノ達。  成仏する前に取り込まれ、混ぜこぜになった魍魎に知性は無く、苦しみから周囲の生ける者達に助けを求める。  それが結果として霊的な抵抗力の無い人間達の魂魄に影響を及ぼすのである。  土地の霊脈が正常であれば、時間とともに浄化されるのだが。 「お主らは苦しみから解放され、私は不動産屋の依頼をこなし、この町で暮らす糧を得る。そんなわけでな、祓ってやるから逃げるでないぞ」  私は再び呪符を取り出し、 「いざ、新天地での初仕事をば――」 「そこの人どいてどいてーッ!」  唐突な闖入者は、私の後方からやってきた。 「なっ……⁉」  驚くほどの――否、私が接近に気付かなかったほどの速度で、人間の少女は咄嗟に壁を蹴って私との衝突を回避し、私がこれから祓うつもりでいた魑魅魍魎達へ次々と触れながら、廊下の突き当りまで走り抜けた。  ――赤い。  燃えるような赤い髪の少女。  昨今の人間の間では髪を染料で染める文化もあるようだが、私の獣としての嗅覚は、そうした染料の香りを捉えていない。  少女がこちへへ振り返って静かに手を合わせたその刹那、触れられたそれらは全て同時に淡い光となって蒸発していく。 「――――」  思わず息を呑んだ。  尋常ではない。  いかに一個の怪異として成立するほどの力を持たないモノ達とは言え、ただの人間の年端も行かぬ少女が瞬時に祓える代物ではないのだから。 「これでよしっ……と」  少女はひとつ息を吐くと、ぱっぱと手をはたく。 「さーて寄り道しちゃったけどバイト行かなきゃ……」 「おい待てお主……!」 「あーゴメンねお姉さん、あたしバイト行かないと遅刻しちゃうから!」 「あ、おいこら!」  何か急いでいる様子で、少女はこちらの制止も聞かずに近くの階段を下りて行く。  その足の速さたるやこれまた尋常ならざるもので、あっと言う間に下まで駆け下りたかと思うと、近くの路地を曲がって姿を消してしまった。  走るための修練を積んだ者でさえ、そうそうあの域には達せまい。 「…………何なのであるか、今のは」  呆気にとられて追いかけるのすら忘れていた私は今更追跡する気にもなれず、依頼の事もあったので滞在している階の霊気を探ってみる。  しかし先程この目で見た通り、私が祓うつもりでいたあれらの霊気はどこにも残っていなかった。 「……やはり全て除霊されておる」  やはりあの娘がやったのだ。  あの短い時間で、一つの祝詞も、念仏の類も口にすることなく。  幕末から妖として百三十年近く全国を放浪した私でも、ただの人間の娘にあれほどの力が宿っているのを見た事は一度もない。 「……一体、何者……」  疑問に対する答えが見つかるわけもなく。  私のこの町での初仕事は、何とも言いようのない空振りで幕を下ろしたのである。  3 「……納得がいかぬ」  私は窓の外の街並みを眺めながら、憮然とした面持ちで茶を啜る。  あれから一週間経った昨日。  不動産屋の前を通りかかった際に呼び止めらられ、上機嫌な社長夫婦に持ち物件である前の借主の会社だかが夜逃げ同然で置いて行った椅子やら何やらがそのまま残っていたテナント部屋を貸し与えられたのである。  話によれば、これまでの閑古鳥が嘘の様に、当該物件の空き部屋が埋まりつつあるらしい。  確かにあれらが居なくなった事で建物自体を覆っていた淀みも晴れたのだろうから、そういう事もあるのかもしれない。  曰く、線路向こうの鵜原地区には曰く付きの物件が多く、今後とも色々頼みたいとの事であった。  私としては依頼はあの娘に横取りされて空振りのつもりだったものの、不動産屋は私がやったのだと思っているらしい。  かくいう私も野宿生活には嫌気がさしていたので、思う所はあるものの待遇に甘んじてしまったのだ。 「あのう……ちょっといいかしら?」  入口のドアが空いて、一階の不動産屋兼ここの大家が顔を出していた。 「む、社長の奥方か。いかがなされた?」 「その……また、お仕事お願いしたい所があるのだけれど」 「ほう」  願ってもない話だった。  こちとら不本意な棚ぼたで不完全燃焼状態のままである。  この町での新生活を気分よく始めるためにも、踏ん切りはつけておかねばならない。 「何でも申してくれて構わぬ。依頼とあらば、喜んで」  依頼の物件は、やはり駅南側に広がる鵜原地区。  まだ建てられて三年あまりの新築『あぱあと』だと言うのに、少し前から立て続けに住人が退居してしまい、今は殆ど空き家になってしまったのだとか。  近くまで行ってみると、案の定霊脈淀みの直上に位置する物件であった。 「何と言うか、あの大家も災難であるな……」  見えないモノに、人は対処の術を持たない。  私が偶々ホンモノであったから良いようなものの、霊媒詐欺なんぞに引っかかる方が余程可能性が高い。 「ま、食事と寝床に困らなければ私には関係ないが……依頼である以上はこなしてみせようというものである」  ……と。  私が建物へ近寄ろうとした丁度その時。  おかもちの付いた自転車を常軌を逸した速度で操り、あぱあとの前に乗り付けた者が居た。 「あやつ……!」  誰であろう先日の、赤髪の小娘である。  すぐにでも出ていって文句を言いたいのをひとまず堪えて、様子を見る。  出前の品をおかもちから取り出しているのを見る限り、どうやら仕事で来ているのは間違いないらしい。 「……あやつ、やはり怪異狩りが生業というわけではないと言う事か」  建物の一室を訪れた小娘は、出てきた客へ出前の品を渡し、代金を受け取り頭を下げる。  どこからどうみても普通の仕事だった。  そこまでは。  客が玄関を閉めた後、小娘は一息ついたかと思うと建物の奥の方へ視線を移す。  そこは間違いなく霊脈の乱れの直上にある、淀みが滞留している位置にほかならなかった。 「――」  そちらへ向かって手をかざした小娘の身体から、今の今まで全く感じ取れなかった霊力が溢れ出す。  尋常ではない。  こんな力を、ただの人間の、年端も行かない小娘がその身に宿しているなど。  思わず私はその場を飛び出していた。 「おい、赤髪の小娘!」  私の声に、小娘が驚いた顔で振り向いた。 「あれ? ……この前のお姉さんじゃん」 「お主……ここで何をしておる」 「え? いや、蕎麦屋の出前だけど」 「……そういう事を聞いておるのではない。今、まさにこれから何をしようとしていたと聞いておる」 「んんん……? ああ、あれのこと?」  そう言って小娘は、霊脈の淀みに群がっている魑魅魍魎達の方を指さした。 「……やはり視えておるようであるな」  私がそう言うと、今度は小娘が私の顔をまじまじと見つめてくる。 「そういうお姉さんこそ、私と母さん以外に視えてなかった“ああいうの”が視えてんだね」 「母さん……? お主の母親は高名な霊能者であるか?」 「え? コーメー?」 「……名高いお人かと聞いておる」 「いやーどうなんだろ。母さんとも父さんとも、そういう話しないからね」 「……やれやれ」 「でも名高い人だったら有名人ってことでしょ? 無いと思うなー。有名人だったらウチの神社もっとゴージャスになってるっしょ」 「そういう俗にまみれた話をしているわけでは……む? 神社?」 「そだよ。鵜野森神社。ほら、線路向こうの北鵜野森のさ、丘の上の」 「……なるほど」  この町へ初めて来た時にも感じたが、町の北側の霊脈が驚くほど整っている要因と推測した神社がそれか。  余程の力を持つ御仁なのであろう。 「ウチももっとお金持ちだったらなー。“らるく”のライブとか行きまくれるのになー」 「……かような神秘性のカケラもない跳ねっ返りが跡継ぎでは、お主の母君とやらの心労はいかばかりやら」 「何かよくわかんないけど、悪口言われてる気がする」 「ともかく。ここは私の縄張りでな。邪魔をしないでもらいたい」 「……お姉さん」 「何であるか?」 「蕎麦屋のライバル店か何かなの?」 「阿呆」 「痛った! いきなりデコピンするとか何なの!」  小娘が額を押さえて呻く。 「お主には私が飲食店の奉公人に見えるであるか?」 「え……いやぁ……何だろ。……コスプレ?」 「こす……なんであるかソレは」 「てかお姉さんこそ何なのさ。いきなり私の邪魔するしデコピンするし。……って、あれ?」  小娘が何かに気付いたように、私の周囲をぐるっと一周しながらジロジロと見回している。 「……?」 「そう言えば、お姉さんも何か不思議な感じするんだよね。母さんともちょっと違うんだけど……」 「お主……ひょっとしてあれほどの力がありながら、霊力探知が出来ぬのであるか」 「なにそれ?」 「……まあよい。ともかくアレは私の仕事でな。お主に横取りされるわけには行かぬのである」  私は懐から符を取り出し、印を切って力ある言葉を吹き込んでいく。 『天清浄とは 天の七曜九曜 二十八宿を清め 地清浄とは 地の神三十六神を 清め 内外清浄とは 家内三寳大荒神を 清め 六根清浄とは 其身其體の穢れを 祓給 清め給ふ事の由を 八百万の神等 諸共に』  光が符にゆっくりと吸い込まれて、それはやがて文字となって浮かび上がる。 『天地一切清浄祓』  祝詞が完成すると、符からは不浄を祓う力が敷地全体へと広がって行く。  そして「視える」者には黒い霧状に見えていた淀みは、その光に中てられて僅かの間に消えて行った。 「ふむ。まあこんなモンでよかろう」  私は一息つくと、小娘の方へ振り返る。 「……す」 「……む?」 「すっごくない⁉ 何今の⁉」  小娘は私の肩をがしっと掴み、興奮を隠す気もなさそうな様子で前のめりに詰め寄って来た。 「お、おいこら」 「どうやったのそれ⁉ そのお札みたいのが凄いの⁉」 「……ま、待て待て待て待て」 「ねー教えてよそれどうやんの⁉」 「いや……と言うかお主、この土地の霊脈を調律しておる神社の娘のクセに、何も教えられておらぬのであるか」  当人に霊的な適性が全くないのであればいざ知らず、これだけの霊力を内包した者が修練も積まず、それらに関する知識も受け継いでおらぬとは。 「れい……みゃく……?」  駄目だ。  こやつ、完全に顔が疑問符で埋まっておる。 「お主、本当に親から何も教わっておらぬのであるか」 「え? いやー……あたし人の話ジッと聞いてるの苦手で……」  ……親が教えておらぬのではなく、こやつが学ぼうとしとらんだけか。 「しかし、そうなると先日のマンションでのアレは如何にして身に着けたのであるか?」 「え? んー……なんとなく?」 「なんとなく……」 「何かさ、苦しそうな声がするじゃん? でさ、「もう大丈夫だよ」って触ってあげるとさ、静かになって消えるんだ」 「……」 「この町には何でかそう言うのが多くて、見掛けたらそうしてあげるようにしてるんだ」  ……こやつ。  技術体系を学ぶことなく全てを感覚的に行っていると言うのか。  その才覚は確かに目を見張るものがあると言ってよい。  だが……。 「お主に聞きたいことがある」 「なに?」 「お主、自分の身体能力が常人よりも飛びぬけている事を自覚しておるか?」  私が見たのが間違いなければ、こやつの足の速さも自転車を漕ぐ力も、およそ特別な修練を積んでもいない、ましてやこの年齢の女子が出せるものではない。 「えーっと……まあ、ちょっとは」 「良いか。お主は自身の霊力の扱いを知らぬ。無意識にその力が肉体を活性化させ続けている状態である」 「……それって、別に悪い事じゃないんじゃないの?」  私は小娘の腕をとる。 「この細腕も、その脚も、同年代の子供らより幾分鍛えれれている程度のはず。本来であれば、その自転車で自動二輪を追い越すような速度等出せようはずもない」 「気合いの問題だと思ってた……」 「人間の霊力とは即ち魂魄の力である。お主は確かに人間離れした霊力をその身体に秘めておるやもしれぬ。しかしその力の調整が自分でできなければ過剰に霊力を放出し続ける事になろう。それはお主の寿命も削る事になりかねん」 「……え」 「良いか、力の使い方をきちんと憶えるまで、この手の話には首を突っ込むでない。霊脈の淀み程度のものであれば、いくら湧こうと私一人で充分である」  命に係わると脅しておけば、流石に大人しくなるであろうと思ったが、小娘は何やら不満げだった。 「それって、見掛けても手を出すなって事でしょ?」 「そう申しておる」 「苦しいって聞こえてるのに、無視しろって事じゃん」 「自分が死ぬよりマシであろうに」  私が溜息混じりで頭を掻くと、 「いやだよ」  小娘ははっきりと、私の目を見てそう言った。 「見て見ぬふりって、一番嫌いなんだ。お利巧な大人がよくやるやつ」 「……」  かような目をする者は、久しく見た事が無かった。  だが、そういう者ほど身にそぐわぬ自己犠牲の果てに早死にする。  そういう結末は、見たくはない。 「であれば、お主の母君からしっかりと教わるがよかろう。町の北側の霊脈を整えておるのがその御仁であるなら、お主の力の使い方も教えてくれるはずであるよ」 「……母さんに教わるの、なんかやだ」 「思春期か! ……いや思春期であったか」  難しい年頃なのであろうが……どうしたものか。  私が眉間に皺を寄せていると、突然何か思いついた様子で小娘は瞳を輝かせる。 「ね、それならお姉さんが教えてよ!」 「……は?」 「私もさっきみたいなかっこいいのやりたいしさ! ね? ね?」 「……何ゆえ私が見ず知らずの小娘に教えなど……」 「淑乃!」 「……?」 「あたし、朝霧淑乃!」 「はあ」 「これで見ず知らずじゃないっしょ?」 「……」  ……何なのだ。  この者の頭はどうなっているのだ。 「ね、お姉さんは?」 「……なにがであるか」 「な・ま・え」 「……霊獣・仙狸である」 「レイジュウ……センリ……? 苗字も名前も珍しいね」  そう言って難しい顔をして唸りだした。 「私に人間の個体の様な名など無い。そもそも人でもない」 「人じゃない……?」  きょとんとした顔で、首を傾げている。 「霊なる獣と書いて霊獣。私の本体は百年以上を生きた猫のあやかしである」 「え、じゃあ猫なの?」  そう言って再び私の背後に回ったり、頭の上を覗き見たりし終えた後、 「尻尾も無いし耳もフツーじゃん」 「たわけ。そのような穴だらけの変化なぞするわけなかろう」 「だいたい何でわざわざ人間に化けたりしてるのさ」 「この姿の方が商売をするには便利なのでな」 「えー」 「何が『えー』であるか」 「私、猫がいい」 「お主の好みなぞ聞いておらんわ!」 「でもさ、それって仲間同士で会った時に『レイジュウセンリ』同士って事でしょ? 不便じゃない? レイジュウセンリA、レイジュウセンリBって呼び合うの?」 「同じモノに出会った事なぞ無いわ。そもそも、私はずっと一人である」 「一人なの? 友達とかは?」 「そんなモノはおらぬ」 「えー」  ……さっきから何なのであるかこの娘は。 「あ。じゃあ、さ」  そしてまた何か妙案でも浮かんだような顔で、小娘は笑う。 「なろうよ、友達」  屈託なく、迷いなく。  朝霧淑乃は私に向かって手を差し出した。  ――思えば。  私と朝霧家の人間との奇妙な縁は、この時から始まったのである。
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