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昭和が終わろとしている頃だった。
二階建て木造アパートの一階に、小学生だったBは父と二人で暮らしていた。
鳶職だった父と親子二人、裕福でもなかったが、取り立てて貧しくもなかった。
誕生日やクリスマスにはプレゼントをもらっていたし、矢沢永吉のコンサートにもよく連れて行かれた。
お小遣いは毎週土曜日に500円玉一枚。週刊少年ジャンプは買ってもらえる。
その頃のBのささやかな贅沢といえば、父のおつかいのお釣りで買う、おしるこだった。
居酒屋の軒下に設置された三台ある自販機。
向かって右側に煙草の自販機。真ん中には父が気に入っているブラックコーヒー。そして、左側の自販機にしかないおしるこ。
「男のクセにまたおしるこか?」
がちゃがちゃとローラースケートを脱いでいると、競馬中継を観ていた父が玄関先に顔を出す。
出掛け先でも探すおしるこは当然父にも知られていて、今から思えば父はBにささやかな贅沢をさせるためにおつかいを頼んでいたのかもしれない。
そのおしるこは何故かそこの居酒屋の自販機にしかなかったし、朝食のパンも息子の学校行事も忘れない父がそうちょくちょく煙草を買い忘れるはずがない。
「おしるこもいいがな。父さんの夢は大人になったお前と一緒に酒を呑むことなんだぞ」
頭を撫でてくる父の手を振り払いながら、Bは言った。
「一緒にって、父さん、酒呑めないじゃん」
「あ、そういやそうだったな。じゃあ、コーヒーにするか」
煙草に火をつけて笑う父が、Bは大好きだった。
世界で一番、格好良い大人だった。
それから間もなく、父は交通事故に遭い、あっさり他界した。
父は無縁仏になり、引き取り手のなかったBは施設に入れられた。
軒下にある自販機には、一度だけ施設を脱走して行ってみた事がある。
雪がちらつく灰色の空の下、三台並んだ自販機におしるこはなかった。
缶コーヒーは買えなかった。
父の言っていた大人に、Bはまだなれていなかったからだ。
あれからもう何年経ったのか。
居酒屋はコンビニに代わり、父と暮らしていたアパートは跡形もなく取り壊され、コインパーキングとなった。
右から順番に買っていたあの自販機も、時代に乗っ取られていた。
柄にもない教師という職に就いたBを、父は自慢に思ってくれるだろうか?
不意にキャロルがやみ、スマートフォンがLINEの着信を告げる。
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