第13章

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一度唇で触れたことのある、なめらかな頬が目の前にある。うす曇りの空の下、今はきっと冷たく冷えているだろう。 頬を摺り寄せて暖めてあげたい、なんて不埒なことを考えつつ、長い睫が落とす影に見蕩れた。 「つい数ヶ月前まで、あんなにちっちゃかったのに。ふてぶてしくなっちゃって」 亮は不服そうにこぼすと、裕幸を置いて歩き出した。 華奢な後姿を追って、小走りになりながら自転車を押す。 「あのさ、亮さんよくそれ言うけど、オレ一夜にして竹の子みたいにでかくなったわけじゃないからな?」 再び横に並んで、自分より少し低い位置にある小さな顔を見下ろす。足早に歩を進める年上の恋人は、相変わらず表情が希薄で何を考えているのかよく分からない。 「僕の心情的にはそれ結構正しい例えかも」 「何それ地味に傷つく。あのさぁ、亮さんの言う、ちっちゃくって可愛い裕幸くんと今のオレが同一人物だって、いい加減に認めてくれない?」 自分が口にしたことがあまりに自分勝手で、思わず少し落ち込んでしまう。 目をかけていた幼い少年が、成長して男として迫ってくるなんて、亮は一度も望みはしなかっただろう。亮にしてみれば、好きだと詰め寄った裕幸の方こそひどい裏切りになる。 沈んだ声に振り返った亮は、歩を止めた裕幸にすぐに気づいて駆け戻ってきた。 裕幸が押す自転車の前に立ち、眉間に皺を刻んで悩んでいる。 救いようのない片想いしている期間が長かったせいで、ついふとした弾みで自虐的になってしまう。自分でもらしくないと思うし、亮には一層見せたくない姿だ。 気持ちを切り替えようと意識的に笑顔を作って亮と向き合うと、難しい顔をしたまま亮が口をひらいた。 「分かってるから困ってる。自分より背も高くて、甲斐性のあるいい男になったのに、それでも僕は君が可愛くてしょうがないし、甘やかしたい」 あっけにとられて二の句が継げない裕幸の前で、僅かにためらいつつ、亮はポケットから鈍く光る鍵を取り出した。 「はい」 「これ……まさか、亮さんちの合鍵?」 このシチュエーションで渡される鍵なんて、ほかに考えられない。 差し出されたそれを両手で受け取ってまじまじと見つめる。 「電話もメールも苦手で。図書館にもあんまり来るな、って言ったら、さすがに会う機会がなくなるのは僕にだって分かってるよ。その代わり、うちに来たいときいつでも来ていいから」
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