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言葉に詰まった亮は僅かに目をそらした。その顔を見るだけで、彼がどう感じたのか敏感に悟る。
口の端を曲げて笑う裕幸の顔は、卑屈な笑みになっていないだろうか。
「嬉しいんでしょ」
「……………ごめん」
「ううん、分かっています。今はまだ俺と同じ気持ちじゃなくていい」
冷静なおとなからしたら、これが普通の反応だ。
ゲイなんてセクシャルマイノリティで、生きていく上ではデメリットばかりだ。もしごく当たり前に女性を好きになれて、幸せな家庭を築けるのなら、それに越したことはない。
そう思うのが正しい。
だけど、何が正しいかなんて全部どうでも良くなるくらい、自分を求めて欲しい。そう思うのは傲慢すぎるだろうか。
だって裕幸は気がついたら亮のことが好きで好きで仕方なくて、亮しか欲しくなかった。
とっくに普通に生きることなど出来なくなっている。
「いつか絶対、本気で好きにさせてみせるから」
横に立つ恋人の目を見て、真っ直ぐに決意を伝える。
亮は困ったように目じりを下げて呟いた。
「今だって、僕は君が好きだよ」
「分かってます」
白い歯を見せて笑う裕幸を眩しそうに見上げ、亮は目を眇めた。
それからしばらくふたりは無言で歩いた。
この道は大通りから少し外れただけなのに、ずいぶんと往来が減って歩きやすい。川堤には背の低い草が茂り、ところどころ気の早い菜の花が黄色い花弁を覗かせている。
きっと春になれば、もっと美しく緑が茂るだろう。
今はまだ少し寒いけど、風の通る気持ちのいい道だと感じた。
これから、この道を通って亮のアパートへ通うのだ。不意に実感し、堪えようもなく胸が熱くなった。
合鍵を持って早朝ひとりで向かうときもあるだろうし、仕事帰りの亮とふたりで歩くときだってあるかもしれない。
きっとこれから、何度もなんども、この道を歩く。
そう思いながら歩を進めれば、より一層この景観が好きになった。
「四月になったら、確かめに行こう」
「何をですか?」
「あの木が本当に桜かどうか。桜だったらきっとすごくきれいだよ。お花見しよう」
当然のように交わされる、近い未来の約束。
屈託なく笑う亮の笑顔を見ていると、自然と心が浮き立ってくる。
「あ、ほら、このアパートだよ」
ほどなくして亮が指差した建物は、想像していたより少しだけ新しい、ごくごく普通の三階建てのアパートだった。
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