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入り口に並んだ郵便ポストを素通りして、階段を上る。狭い通路に響く二人分の足音に、急に気持ちが浮き足立ってくる。
亮が借り受けたのは、二階の角部屋だった。表札も何もない、まっさらな白い扉。
「裕幸くん、合鍵使ってみたい?」
「ううん、いい。亮さんが開けて」
うずうずしている裕幸を振り返って、亮はからかうように尋ねてきたが、付き合う余裕はなかった。
だって、このドアの中に入れば、ようやくふたりきりになれる。両想いになってから、初めての機会だ。
外では亮が恥ずかしがって、並んで歩くだけで精一杯だったけど、誰も居ないこの部屋でなら、恋人らしいことをしたって許されるはず。
たとえば、部屋に入るなりキスしたりとか。
「あれ?鍵が回らない…」
「もー、やってあげよっか?」
不埒な妄想で上擦りそうになる声を何とか押さえ、鍵と格闘する亮を背後から覗き込む。
しばらく亮は首を傾げてノブを回していたが、急にガチャリと音がして鍵が開いた。
「あ、開いた」
亮は何気なく振り返り、すぐ後ろに立つ裕幸に気づいて一瞬動きを止めた。
「亮さん?」
わざと耳元で囁くように尋ねると、やわらかい髪が吐息で揺れる。
亮は逃げるように裕幸に背を向けた。
「っごめん、何でもない」
相変わらず表情はあまり変わらないけれど、マフラーの隙間から見えるうなじが僅かに赤くなっているような気がする。
これからふたりの時間が始まるということを、少しでも意識してくれたのなら嬉しい。
ドアノブに手をかけた亮は少しためらって、裕幸を見上げる
急かさずに、ただ微笑んで見返すと、亮は大きく息を吐いた。
そして、恋人としての新しい一歩を踏み出すために、ドアを開けた。
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