第1章

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1 長谷川亮の勤める華北図書館は、蔵書数十万冊を超える比較的大きな図書館だ。 公立の図書館で司書をしている、というと一般的に気楽な仕事に思われがちだが、実際のところそう楽な立場でもない。 広い館内にふさわしく職員は数多く居るけれど、そのほとんどが派遣やパートといった非正規雇用者たちで、正式に司書として雇われているのはごく僅か。 近年では司書を置かない図書館も増えているので、それを思うと文句は言えないが…、司書と言えども最近の亮には書物を相手にする時間はほとんどない。 他の図書館との折衝やイベントブースでの展示物の打ち合わせ、アルバイトには任せられない書類仕事など、華北図書館に係わるほとんどの雑務を一手に引き受けているのが現状だったりする。 まぁ、亮は今現在の華北図書館員の中で一番の年少者なので、ある程度は致し方ないのかも知れないが…。 「さすがに、これはちょっと………」 ちょうど桜が散り終わり、新緑がちらほら目に付き始めた、四月のとある晴れた日。さわさわと街路樹の葉を揺らす風が心地よい。 華北図書館から駐車場へと続く遊歩道の真ん中で、亮は小さなため息をついた。 その嘆息は人目を気にした、非常にささやかなものであったが、すぐ側で控えていた主婦と思しき女性には聞こえてしまったようだ。申し訳なさそうに縮こめいてた肩をますます下げる。 「あの、本当にすいません。やっぱり無理ですよね?」 「えぇー!」 消え入りそうな声で尋ねてくる年若い母親とは対照的に非難がましい声を上げたのは、その手にぶら下がった少年だった。見るからに利かん気の強そうな眉をぐっと顰めて、口を尖らせる。 「やだやだやだやだ!とって、とってよ!」 「もぅっ、りょうくんがちゃんと握ってないからいけないんでしょ?」 強い語調で窘められ、腕白盛りの少年もさすがにぐっと押し黙る。唇をへの字に曲げて見上げる、その視線につられて亮も頭上を振り仰いだ。その先には清々しいほど晴れ渡った空をバックに、赤い風船が揺れていた。 街路樹に絡まってしまった風船をとって欲しい。 書類仕事に追われて昼休憩を取りそびれていたことに気づいたのが十五分ほど前。手早く軽食を済ませ、さて職務に戻ろうかとしたところで呼び止められて申し渡されたのが、この言葉だった。
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