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言われるがままに表に出ると、図書館入り口からほど近いところに一目でそうと分かる親子づれがいた。よほど風船に未練があるのだろう、少年は大きな目に涙を溜めて空をにらみつけている。
華北図書館の敷地内で起きた以上、これも仕事の一環だ。
「いえ、大丈夫です。ちょっと脚立を取ってきますね」
安心させるよう、笑みを作って母親に振り向いたその直後、微かに風が吹いた。それは、僅かに髪を揺らす程度のそよ風だったが、不安的に引っかかっただけの風船には大きな影響を与えた。
「あぁ!あぁ!あぁー!」
甲高い悲鳴を上げて少年が暴れる。悪戯な春風に揶揄われ、風船の糸がほどけてしまったようだ。見守る一同の前で、赤い球体はふわふわと高度を上げていく。あわや、そのまま飛んでいってしまうかと危ぶんだそのとき、辛うじて枝に阻まれ上昇を止めた。
「ねぇ、とって!とって!今すぐとって!」
涙ながらに母親の腕に縋りついた少年を見て、亮も内心狼狽した。
脚立がある倉庫へは急いで向かっても十分はかかる。行って戻ってくる間、果たして風船は無事だろうか―…。
逡巡していると、場にそぐわない明るい声が割って入った。
「亮さん、何してるの?」
言うなり後ろからくっついてきたのは、年若い友人の青山裕幸だ。
裕幸は華北図書館近隣の高校に通う三年生で、明るく人懐っこい表情が魅力的な、亮にとっては可愛い弟分だ。
人目を惹く整った顔立ちをしていて、制服をそれらしく着崩している。ぱっと見は典型的な今どきの若者っぽく、図書館では若干浮いて見えることも多い。
しかしこう見えて裕幸は、三日と間をおかず華北図書館に通い詰めるほどの読書家で、学生のころからここでバイトをしていた亮とはかれこれ七年来の付き合いになる。
こんな突飛な行動をとる知り合いはひとりしか居ないので、顔を見ずとも分かる。
「ひとに会ったときは、先ず挨拶しようね、裕幸くん」
「あ、オレって分かった?」
眉を顰めて一応不快感を表してみると、とりあえず離れてはくれたがどこまで意図が伝わっているのかは分からない。ごくたまにだけ見せる本音の読めない笑みを浮かべてこちらを見返している。
裕幸は昔からスキンシップの激しい性質で、やたらと亮に触れたがった。
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