第6章

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さすがにもうこの後机を囲んでお勉強、という雰囲気ではない。L字のソファにからだを預けたまま、亮も持参した教材を取り出そうとせず、ぼんやりと裕幸がいれた麦茶を眺めている。 「迷惑かけてごめん」 少し声を改めただけで、空気が変わったことを察したのだろう。それまでどことなく上の空に見えた亮は、きちんと目を合わせて向き直った。 普段はどう勧めても勉強が終わればすぐに帰ってしまう亮が、裕幸に請われるままシャワーを浴び、夕食まで付き合ってくれた。 明日も仕事があるのに、時間を気にするそぶりも見せず、ただそばに居てくれる。 亮から示される確かな情を確認して嬉しく思う気持ちと、惨めさとが混ざり合って、頭がぐちゃぐちゃになる。 本当はこれ以上情けないところを見せて、亮から哀れまれるのは嫌だった。 このまま詳細には触れずに何もなかったことにしたい。 だけど、何もかもひとりで抱えこむにはもう限界だった。 「格好悪いとこ、見せちゃった。ほんとに何にもなかったんだ。どうしてあんなに感傷的になっちゃったのか、自分でも不思議なくらいで。ただ…………たまに、両親に愛されてるなぁ、って思うと辛くなるときがあって、」 「…うん」 寡黙な亮は、相槌もそう流暢ではない。 それでも、こちらを見守る真摯なまなざしから、自分のことを一所懸命に考えてくれているのは分かった。 恐る恐る腕を伸ばして亮の手を掴むと、亮はやさしく握り返してくれる。 そのぬくもりに励まされ、なるべく触れないようにしていた話題を、ようやく自分から掘り起こすことが出来た。 「もともと夏は苦手なんだ。些細なことであの日のことを思い出していまだに苦しくなる」 一息で言い切った途端、握り締めた亮の手の平がわずかに硬くなる。 表情の読み取りづらい亮からは、どんな気持ちで裕幸の言葉を受け止めたのか、よく分からない。 ただ長い睫を伏せて、戸惑いながら言葉を紡ぐ。 「あの日って、その………裕幸くんが本当のお父さんに会った日?」 「そう。あの日も今日みたいにうんざりするほど暑くて、蝉が騒がしかった」 かぎ慣れない消毒液の匂い。顎を伝う不愉快な汗と、焼け付くように暑い、真昼の駐輪場。 普段、考えないようにしているのに、ふとした瞬間に思い出してはバカみたいに何度も繰り返し傷ついている。 もう六年も前のことなのに、昨日のことのように鮮明に思い出せる。
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