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「だって、どうみても長生きしそうになかったんだ。あいつの子どもを産んで、育てて、お父さんと結婚してからもときどき見舞いに行って。それだけ心を捧げた相手が死んだら、母さんはどのくらい落ち込むんだろうなって、気になるじゃん」
何もかも手につかなくなるくらい、落ち込むのだろうか。洗いざらいぶちまけて、裕幸をあの男の墓まで引き摺って行くのかもしれない。
だけど、そんな裕幸の意地の悪い想像は、何一つとして当たらなかった。
「そんなこと考えながら、暮らしてたんだけど、あれから何ヶ月経っても、何年経っても、あいつがいつ死んだのか、全然分からなかった。分からないまま、母さんはいつの間にか見舞いに行くことがなくなってた」
見るからに死期の近かったあの男が持ち直したとは、どう考えたってありえそうもない。
母は、変わらなかった。家庭に波風を立てることなく、あの男の死を、存在を、最後まで隠し通したのだ。
「全然、ずーっと変わらなくてさ。だって、こどもを欲しいと思ったくらい、愛した男が死んでも、普通に生活してるんだよ?母さんを見てるとだんだん何か怖くなってきて…自分でもちょっと単純だなって思うけど、たぶん、それが女の人がダメになっちゃった理由」
女のひとは信用できない。何を考えているのか分からない。
自分が同性愛者なんじゃないかと気づいたとき、散々悩んだけれど、女性がそばに近づくほどに息苦しく感じるのは、間違いなく母の影響だろうと思う。
苦い気持ちを飲み込んで笑ってみせるが、亮はつられて笑ってはくれなかった。眉を寄せ、長いまつげを伏せる。
しばし逡巡して、結局ため息のようなささやかな声で言う。
「裕幸くんのお母さんが表面上変わらないように装ったのは、裕幸くんと同じように、家族を守るためだったんだと思うよ」
「分かってるよ」
裕幸とて、頭ではそのくらい分かってる。だけど、頭で理解しても、心が納得しないのだ。
「…そうだね。余計なこと言ったかな」
「ううん、そんなことない。ありがとう、亮さん」
言わずもがなのことをあえて言ったのは、不器用な亮のやさしさだ。
こころの一番やわらかいところをさらけ出した裕幸を見守る亮の眼差しはどこまでも温かい。
亮はこんな風に、裕幸が拗ねたりみっともないときにこそ、張り切ってそばに寄り添おうとする。
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