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普段滅多に声を荒げることのない父まで、見たこともないほど険しい顔をしている。たちどころに空気が悪くなりつつあるのを肌で感じながら、けれどその理由が分からず、裕幸は必死で言葉を探した。
「ちょうど亮さんも一人暮らし始めようかな、って思っていたタイミングでオレも卒業するし」
「それだけの理由で、お前まで家を出る必要はないだろう」
「けど、オレ、前から一人暮らしに憧れてて」
「ルームシェアって言わなかったか?」
「その、親元を離れて暮らすの、やってみたいなって思ってて。お金ならバイトするから」
「たった四年しかない大学生活なのに、そんなことのためにバイトまでして時間を削るのか?」
たった四年?
父にかけられた無情な言葉に、目の前が暗くなる。
裕幸にとってこの先の四年間は、果てしなく長い。
八年前の夏の日に産まれた罪の意識は、年を重ねるほどに薄れるどころか、ますます裕幸を苛むようになった。与えられた愛情が堆く積みあがるほどに、火傷のようにじくじくと痛み続け、目を背けることを許さない。ぎりぎりまで膨れ上がった想いはもうとっくに限界を越えて溢れているというのに。
もうこれ以上、自分を誤魔化し続けることは出来ない。出来ないと心は悲鳴をあげるが、それでも裕幸はきつく目を閉じて黙り込んだ。
気まずくなった空間を振り払うように、母はわざとらしく陽気に裕幸の肩を叩く。
「その内大きくなったら嫌でも出て行くのかもしれないんだし、そんなに急ぐことないじゃない」
急いでなんていない。待ち続けた。気が遠くなるほど待った。
もうあなたたちとは暮らせない。暮らしたくない。
好きだから。
大好きだから、つらいんだ。
とっさに喉元まで出掛かった叫びを、奥歯を噛んで堪える。
頭に血が上って目の前がゆがんで見える。それは、自分でも経験したことがないほどの激情だった。
あなたはオレを自慢の息子と言うけど、オレはあなたの息子じゃない。
ずっとずっと、知っていてあなたを騙してきた。
どうかこれ以上大切にしないで。
慈しまれ、何不自由なく育ててもらえることが、今までずっと、つらくて苦しくて。これまでずっと守ってきたものを、踏みにじってしまいそうなる。
膨れ上がった想いは、だけど何一つとして口にすることは許されない。
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