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「今まで隠していて悪かった。長い話になるが、聞いてくれないか?……まぁ、こっちに来て座れ」
父に手招きされるまま、ふらふらと椅子に近寄り、どうにか腰をかける。
「それってどういう…」
「お母さんはお父さんと結婚する前、違うひとと交際していた。お前は母さんとそのひとの子だ」
父は裕幸を見ないまま、無表情で告げた。そして少し逡巡してから、自分に言い聞かせるように付け加える。
「…いつかは、言わなきゃいけないことだったんだ」
その声に隠しようもなく滲んだ感情が何なのか、裕幸には分からない。
母は父とも裕幸とも目を合わせようとせず、俯いて肩を震わせている。
いつの間にか自分よりすっかり小さくなってしまったその背中を、支えてあげなきゃ、と思う使命感とは裏腹に、手も足も凍りついたように動かない。
父は、裕幸が自分の子どもじゃないと知っていた。
さっき、大学合格おめでとう、と労ってくれたときも。つい数ヶ月前、誕生日を祝ってくれたときも。
ずっと。
ずっと。
じゃあ、今までオレは、何のために。
何の気持ちの準備もないまま突きつけられた事実に、裕幸は打ちのめされた。
しかし、呆然と椅子に座り込む裕幸の心の痛みに父が気づくことはない。
裕幸が受けた驚きを、単に実の親子ではないと知ったからだと思い込んでいる。
「久我は、そのひとはお父さんの親友でもあった。いいやつだったよ。ひとを惹きつける魅力があって、いつも皆に囲まれてた」
背中を丸めてテーブルに顔を伏せていた母は不意に立ち上がると、足早にリビングのドアへ向かった。
父は咎めるようにそんな母を呼び止める。
「菜奈、」
「…写真、取って来る」
母は振り返ることなく、リビングを出て行った。小さな足音が遠ざかるのを、無言で送り出す父は、ひどく寂しそうに見えた。だが、眉間を解すように手で押さえた後、眼鏡をかけ直し、いつもの落ち着いた表情を取り戻す。
だけど、その手がかすかに震えていることに、裕幸は気づいてしまった。
「…久我は生まれつき臓器に疾患があって、元々成人するまでは生きられないって言われてたらしい。容態は二十歳を過ぎた頃から、急激に悪くなっていった」
初めて明かされる父親像は、裕幸が想像したどのすがたとも違っていた。
本当は知りたくない。産まれる前に自分を捨てたひとの話なんて聞きたくもない。
真っ先に逃げ出した母を、心の奥底で詰る。
だけど裕幸にはここを動けない。
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