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心臓が大きく脈打っているのがわかる。肩口に押しつけられた口や鼻が息苦しい。なんとか顔を横にして呼吸をすると、吸い込んだ空気とともに櫻井の体臭が鼻腔に流れ込んでくる。それは、彼の愛用する香りに微かに汗の匂いが混ざり合い、優弦は呼吸をするごとに、だんだんと自分の胸の動悸が早くなるのがわかった。なんとか動悸の元を断とうと呼吸を止めてみる。ぎゅっと目を閉じ、赤い顔をして肩を震わせると、櫻井が優弦の異変に気がついたのか、背中に廻した腕の力をゆるめくれた。
優弦は、もぞりと体を動かして、わずかでも櫻井との隙間を作ろうとした。
「あの……、櫻井さ……」
「うごかないで」
離れることは許さないとばかりに、櫻井の腕にまた力がこもる。それどころか、優弦の左肩に顎までのせて、ふう、とひとつ息をついた。
(うわ……)
櫻井の吐息が耳たぶにかかり、さらに胸が跳ねあがった。温かな息がうなじを沿って後ろ髪を揺らす。優弦は動くこともできず、息を殺して身をすくめていた。
櫻井に自由を奪われてどれくらい経っただろう。それはわずかな時間なのだろうが、とてつもなく長く感じた。大きな手にひらに背中が覆われている。今にも皮膚を破って飛び出しそうな心臓の鼓動が、気づかれそうで落ち着かない。
それでもしばらくすると、地面についた両膝が鈍く痛みを訴えた。それと同時に、櫻井の吐息の音とは別に、複数の靴音が微かに優弦の耳に届いてきた。思わずびくりと体を震わせると、櫻井も同様に体を揺らす。
「おかしいなあ? ほんまにさっき、チラッと見えたんよ? 櫻井さんの後ろ姿」
(これは平田さんの声だ)
「見間違いじゃあないんすか? たぶん、もう商店街のほうに戻っとるかもしれんし」
自分たちを探す由美の声がやけにはっきりと聴こえる。そのあまりの近さに動揺して、優弦はますます体を小さくした。今の自分の姿を由美たちに見られたくない。羞恥心が頭を一杯にした。
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