わたしのソリスト

2/10
前へ
/10ページ
次へ
 西口を出ると、風がさわった。グレーの前髪を、ほんのりと。 「わっ」  少し目をつむってまた開く。いつも通りの並木道。ガードレールと自転車置き場。  あ、すずめが枝に止まってら。もう、春は到来ですなあ。  わたしはギターケースを背負って、ゆるやかな坂を歩く。上りきったら、今度は急な下り階段。転ぶと怖いから一応手すりをつかんで降りる。眼下には、お昼の太陽に向かってまっすぐ並んだ商店街が見晴らせた。下町の空気。東京の、東側の空気。2ヶ月前よりもだいぶ暖かで、わたしはちょっと気が滅入ってしまう。季節はどこでもノン・ストップに変わってくものだなあ。  商店街の人ごみをかきわけ進む。土曜だから人が多いし、外国人もちらほらいる。ここは昔ながらの情緒あふれる町並み。魚屋さん、お総菜屋さん、オバさんたちが着る用の服屋さん。いやあ、シャッター街にもならず、元気なところです。  そんな賑やかアーケードを終わりの方までずいずい進むと、あったあった。白い壁の小さな美容室。両隣のお店にはさまれて窮屈そうな横はば。木彫りの看板には「Tannenbaum」と書いてある。タネンバウム、と読みます。意味は……わすれちゃったけど。  ドアを開くと、ウィンドチャイムがカランと鳴って、きれいな笑顔が振り向いた。 「あら、こんにちは」 「こんにちは」  軽く会釈をするわたし。瀬名さんはさっそく入り口そばの椅子へ促し、 「ちょっと待っててくださいね。あ、ギターそちら置いてもらって大丈夫よ」  うなずいて、ケースを壁に立てかける。椅子に腰掛けてわたしはスマホに目を落とした。足がちょっとくたびれたなあ。まったく、重いんだよな。クソ邪魔だし。  グラスにお茶を注いで、持ってきてくれた。 「はい、どうぞ」 「ありがとうございます」  受け取って、ひと口。……カモミールだ。ほっとひと息付いたわたしは、あらためて店内を見回す。オレンジ色の電球のひかり。木でできたかわいい壁飾りと、雑誌の入ったミニラック。それから、美容室独特のシャンプーの香りがする。うちにあるのと違って、ちょっぴり高価そうな、涼しくて凛とした香り。わたしはいつからか、このお店で深呼吸をするのが癖になった。
/10ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加