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テラスのガラス戸をいささか乱暴に閉め、ダンスホールの喧騒を追い出したアストラードは騎士の第二級正装の襟元を緩めて息をつく。チラリと覗く男らしい太い首に、かすかに上下する喉仏が薄っすらとした汗に濡れていて艶かしい。
アストラードから手を離され流石にここまでは聴衆も来ないと判断したのかシュイリュシュカもその緊張を解いたようだ。火照った身体に夜風が心地よかった。
「さて、我が麗しの乙女よ。お飲みものをどうぞ?」
アストラードがせっかく整髪された髪を無造作に乱し、艶やかに笑う。しかしその瞳はシュイリュシュカの全身をくまなく睨めつけ、興奮にけぶっていた。いつの間にか持っていたシャンパングラスを差し出すアストラードにシュイリュシュカは目を見開く。
思い出すだろう?
シュイリュシュカが騎士団の士官学校を出てすぐに配属された日の入隊パーティーの会場で、アストラードは今と同じように制服を着崩しており、喧騒から逃れてやってきたシュイリュシュカにグラスを差し出したのだ。その時はまさかアストラードが直属の上司だとは思わずに真面目なシュイリュシュカは騎士の身だしなみについてみっちりと説教をしてくれた。
「そんなだらしのない服装の騎士など騎士の風上にも置けませんね」
シュイリュシュカはかすかに震える手で差し出されたシャンパングラスを受け取り、昔と同じ返事を返す。アストラードの醸し出す色気と雰囲気に虚勢を張るように、務めて冷静に聞こえるように、その声音には感情が込められていない。
気を抜いたら捉えられてしまうと本能的に悟ったのか、シュイリュシュカはアストラードとの距離を慎重に取った。
「私を連れ戻すために図ったのですか?」
「いや、誓いは本物だ。俺の隣はお前のためだけに空けてある」
アストラードの銀灰色の瞳は真っ直ぐにシュイリュシュカを向いている。そして手にしたシャンパングラスを乱暴にくいっと煽り、その喉を潤した。口の端を濡らしたまま、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「お前がトレヴィルヤン家の事情で姿を消したことも知っている。気に病むことはない、貴族にはよくある話だ……それより怪我はいいのか?」
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