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アストラードは寄りかかっていた手摺から身体を起こし、音もなく素早い身のこなしでシュイリュシュカとの間合いを詰めた。シュイリュシュカの露わになったうなじが汗で艶めかしく濡れており、アストラードを誘う女らしい匂いを発している。
「その言葉、貴方にそのままお返しいたします…いえ、綺麗はともかく、貴方は可愛くはありませんわね。でも私と同じくらいかそれ以上に頑固で、強引です」
体温が伝わってきそうなくらいにまで近づいてきたアストラードの鼻先にシュイリュシュカは左の人差し指を突きつけた。
「いいや、俺は最近従順なんだ……自分の欲望にな」
アストラードは獰猛ににやりと笑い、呆気にとられるシュイリュシュカの左手を掴んだかと思うとその環指をべろりと舐めた。
「いい具合に痕がついてるな」
紅く歯型の付いた環指の付け根に入念に舌を這わせる。シュイリュシュカは絶句し、己の指とアストラードの舌を凝視した。
感じ取れよ……この想いを。
シュイリュシュカが自分の副官としての側にいた頃から、アストラードは渇望していた。いや、その前ーー士官学校を視察した際に凛とした美しいシュイリュシュカに目を惹かれたのが始まりか。
「シュイ、どうだ?自分に素直になれ」
最も、はじめはただそれだけの存在であった。しかし時が経つにつれ、貴族の子女であるというのに泥まみれになりながら訓練をしていたその姿と意思の強い紫の瞳が、どうにも頭から離れなくなったのだ。
シュイリュシュカが特務隊を希望していると知ったアストラードは当時の隊長にシュイリュシュカを取るよう進言した。貴族であるシュイリュシュカの風当たりは強いものであるので同じ貴族階級の隊長の元に置くべきだ、と最もらしい理由をつけて。
同じ部隊になってからは、アストラードはシュイリュシュカとの絆を深め絶対的な信頼を手に入れた。シュイリュシュカもそんなアストラードに思慕の情を募らせ始め、ただの上司と部下という関係よりも濃密な、それでいて恋人とはいえない甘酸っぱい間柄となっていた。
アストラードに振り回され、それでも喰らい付いてくる可愛い部下。
素直で真面目で、でもどことなく抜けている愛すべき副官は、悪には屈しない自身の掲げる正義に忠実であり時に残酷な一面を覗かせた。相手が悪党であればアストラードに負けず劣らずの冷徹さで躊躇わず一刀両断する。
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