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苦し紛れの言い訳は途中から耳に入ってはこなかった。
『そんなの嘘でしょう』と、彼を問い詰めた方がよかったのだろうか。
そうすれば修羅場にでもなったのだろうか。
けれど、今胸の中には怒りよりも虚しさが込み上げる。
私に向ける彼の背中に目をやると、
そこにはかつて理想の上司、理想の男性であったはずの面影はどこにもなかった。
自分の中で何かが終結しようとしている。
「……そう。なら仕方ないよね。あなたの立場は……よくわかったから」
振り返る彼の表情は見ないようにした。
「やっぱり、奈緒ならわかってくれると思ったよ」
顔は見なくとも、明るい声色から彼の安堵が伝わってきた。
「とにかく今日は帰って。疲れてるの」
彼は私の願いを了承し、身支度を整えた。
「奈緒、愛してる」
彼は私の目を見て言った。
目は口ほどにものを言うとよく言うが、
彼の目は先程の狼狽をなかったことにするかのように、
自信に満ちていた。
私はそんな彼に薄っすら微笑み返していた。
その言葉が最後になることを私だけが知っていると思えたから。
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