【第三章:風の狩場とカルマの谷 十四】

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「皆さんは、『二河白道(にがびゃくどう)』と言う言葉をご存知でしょうか?  極楽浄土へ向かう、ある旅人の話をしましょう。  最果ての東の地から旅をはじめ、その途中で旅人は、盗人や悪党、害獣から追われるようになります。  そうして命からがら、なんとか逃れながら長い旅を続け、ようやく目の前に現れた、西方の極楽浄土へ向かう、一本の白い道を想像して下さい。  その道幅は細く、幅は片足が乗る程度しかありません。  道の両側には炎と水の、限りのない深さの河が流れています。  二つの河は、常に溢れ、道の上でぶつかり合う程の激しさです。  南には、炎の河。  これは『瞋恚(しんい)』、怒りや憎しみを表します。  北には水の河。  こちらは『貪愛(とんあい)』、(むさぼ)りや執着を表します。  旅人は私たち、肉体を持ち生きる者全ての事です。  後ろから追う害獣や盗人は、この世にあって惑わせる私たちの感覚と、エゴから生まれる間違った考え方です。  生きていれば、どちらにも傾き、時にその底に落ちる事もあるでしょう。  ですが、心を決め、怒りや執着に惑わされる事なく、一心に信じて前を向き、真っすぐに突き進めば、この道を安全に渡りきることができるのです。  なぜなら、極楽浄土からも、現世のこちらの世界からも、神の声は常に、永遠に切れない綱のように、私たちを導いて下さっているからです。  神様の声は、自分の心が欲や怒りに騒いでいては聞こえません。  ですが、真摯に耳を澄ませば必ず聞こえてくるものです。  その声を聴かず自分勝手な怒りや執着心から他者や自らを傷つけたり命を奪えば、それはいつか必ず、自分の身に返って来るでしょう。  自らの行いが必ず自分に返って来る。これが『カルマ』です。  肉体を糧としていただく相手の魂を、感謝と礼節を持って、迷わずに極楽浄土に送ること。  そのように生きていけば、いつか自分が死を迎えるその時も、迷わず極楽浄土へ迎える事でしょう。  命を繋いでゆくために命をいただく。  それだけが私たちに許されている、唯一の殺生なのです」  ウルルは、真剣な表情で一人一人を見廻した。
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