第一話 青

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 それから二年が()った九月の終わり頃。  私の体も成長し、胸が出てきて、尻に肉がつきふっくらとしてきて女性らしさを手に入れると同時に、厄介な、女性特有のあれが始まった。  症状は比較的軽い方だったのでまだましだったが、それでも、やはり面倒だし、痛むし、辛いものだった。  そのせいもあってか、私は不機嫌になることが増えた。  そんな私を、大学受験で忙しいはずの兄は優しく見守っていてくれた。まだ兄は私を見放さずにいてくれたのだ。  映画の話も相変わらずしてくれるのだが、兄と違いずっと家にいるせいで、もう私の方が映画に詳しくなっていた。  この頃には私が兄に映画の話をしてあげる事の方が多くなっていた。  兄は話し上手だったが、それだけではなく聞き上手でもあった。  私は話の流れで、ヒッチコック監督のサイコを久しぶりに見たくなり兄にレンタルしてきて欲しいと言ったら「お前は昔、ヒッチコックの裏窓にひどくのめりこんでいたな」と笑った。  そういえば裏窓も長らく見ていないなと思って、兄が受験勉強をしに自分の部屋に戻った後、久しぶりに裏窓のDVDを引っ張り出してきてプレーヤーにセットした。  テレビに流れる映像には、最初に見た時と変わらず、事故にあい車椅子に乗り、カメラのファインダーを覗き込むジェフの姿があった。 「懐かしい」  私もジェフと同様、久し振りにカメラのファインダーを覗いてみようと思った。  机の中に入れっぱなしになっていたカメラを出して、部屋のカーテンを開けて外の暗闇を見ると、ぽっと明かりが(とも)っている窓が見えた。  カーテンが開いている。  私は急に鼓動が早くなるのを感じた。  当時、あれほど望んでも見ることが叶わなかったカーテンの向こうの世界。  私は焦るように、急いでカメラをそちらに向け、ファインダーを覗いた。  なんてことはない、ただの寝室だった。  ベッドは濃い緑。掛布団は濃い緑と白のストライプ。そして枕は白のカバーが付いている。  特に変哲のないその部屋の扉が見える。私は息を潜めるように、じっと身動き一つせず、その扉を見据えていた。  どのくらい待ったか分からないが、その扉がついに開いた。  男性が先に、そして後を追うように女性が少し照れくさそうに部屋に入ってきた。  二人は下着姿だった。  私ももう子どもじゃない。この後何が起こるのかは容易に想像できた。  しかし、それは、映画で見る行為とは違って見えた。  作りものじゃない、リアルがそこにはあった。それは汚らしく、人間の行為だとは到底思えなかった。  それなのに、私はそれから目を離すことが出来なかった。醜悪(しゅうあく)で、悪夢のような、信じがたい現実から目を離すことが出来なかった。  気付くと私はベッドに横になっていた。  兄がベッドの端に腰かけている。 「お兄ちゃん」  振り向いた兄はどこか興奮しているように顔が赤みがかっていて、息が荒い。そして、なぜか兄は下着姿だった。  兄は何も言わず、ベッドの上に立ち上がってから、私に馬乗りになった。なぜか私は反抗することが出来ない。兄は、私の、シャツのボタンを、一つ一つ、ゆっくりと、じらすように、取っていく。最後の一つを取り終わると、兄は顔を私の顔に寄せ「大丈夫、大丈夫」と繰り返した。私は嫌なのに何も出来ない。シャツの袖から、ゆっくりと、私の腕を抜いて、シャツをベッドの脇に置いた。次いで私の肌着をさっと脱がし、先程ベッドの脇に置いたシャツと(あわ)せて床に落とした。先程までとは違い早くなった動作に、兄の興奮が高まっているのがわかる。次にズボンを脱がされた。この時にはもう、兄はがさつで、()ぎ取るようにズボンを脱がし床に放った。私は下着姿になった。兄が私の首を舐める。妙にざらりとした感覚が首筋の神経を伝わり、脳に不快だという信号を送る。先程みたカーテンの向こうの光景が頭に浮かぶ。私はこれから、あの、醜悪で、汚らしく、悪夢のようなあの行為を、兄にされるのだろうか。兄が私の上で興奮したようになにかを言っているが、私には何を言っているのか分からない。  私は兄に犯されるのだろうか。  そこで、目が覚めた。  何が起こったのか理解出来ずにいた。あの不快感は、とてもリアルで、夢の事とは思えなかったのだ。私はベッドの上で放心していた。  何時間そうしていたのか分からないが、兄のただいまという声で我に返った。  兄が帰ってきた。  きっと兄は私の部屋に来るのだろう。ヒッチコック監督のサイコを持ってくるのだろう。昨日、それを借りてきてくれといったのは、私なのだから。  靴を脱ぐ音。  廊下を歩く音。  階段を上がる音。  鞄が壁に当たる音。  扉の前には兄の気配。  そしてドアノブが回る。  扉がゆっくりと開く。  そこにいたのは獣。  獣の顔をした男。  醜悪な顔の男。  兄は死んだ。 「出て行って。お願いだから、こっちに来ないで」  私は知らず、涙が(こぼ)れた。好きだったはずの兄。私の唯一の味方の兄。  しかし、もう兄の顔からは不快感しか感じない。  カーテンの向こうの世界など見るべきではなかったのだ。
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