2.やさしさに溺れて

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 もう来ることはないと思っていたので、実月の前に立つのが少し気まずい。グラスを拭くふりをしながら様子を伺っていると実月が言った。 「今日は、前髪おろしているんですね」 「遅刻しちゃって、髪キメる時間なかったんだ」  俺の髪は男にしてはちょっぴり長めで、耳が隠れるぐらいまで髪の毛を伸ばしている。普段は長い前髪をねじりあげ、ピンでとめていた。それが今日はセットする時間がなかったので前髪は耳にかけていた。  昨日の、ほんの一瞬しか接していない俺のことを覚えていたのか。そう思うと妙な気持ちになって、気まずさが抜けていく。 「シャツやエプロンをつけていなかったら、流加くんがヤンキーに見えてしまいそうです。スカジャンとか似合いそう」 「スカジャンは着ねーよ、さすがに」  素行不良に見られそうな格好はしているとは思う。俺の髪はブリーチで色を抜きまくって、サーヤに負けないぐらい金色になっていたし、耳はピアスだらけ。唯一、タトゥーだけは痛そうだなと思って入れてなかった。 「あんた、ハニーライダー気に入ったんだ?」  飲みかけのハニーライダーを指さすと、実月は頷いた。 「甘くて美味しいです」 「そりゃよかった。オリジナルドリンクなら他にもあるから飲んでみたら? 甘いのがいいんだったら、これとかも……」 「わあ、それも美味しそうですね」  不思議と実月は話しやすい。年上なんだから敬語を使えと怒られるかもしれないけど、幼い顔つきのおかげか警戒せずに喋ることができて、他の客よりもやりやすい。 「ふふ、可愛いな」 「え? 可愛いって何が――」 「このコースター。これもお気に入りなんです。このオオカミが可愛くて」  視線の先には昨日と同じくウルフマークのコースター。実月は無邪気に微笑みながら狼の頭を撫でていた。  なんだよ、紛らわしい。心の中で悪態を吐きながらも安心している自分がいた。やはり実月はこの店の裏の顔を知らないのだ。つまり昨晩は、誰も買っていない。  なぜかくすぐったい気持ちになって、俺は口元を緩めた。
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