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本音としては、このまま風呂にでも入って寝てしまいたいが、隣近所へ引っ越しの挨拶に出向く。しかし、社宅のドアが並んでいるのとは事情が違う。
早春の田舎道をとてとて歩く。道端には菜の花が咲いていて、とても穏やかだが、自転車を買わなくては生活できないと文子は新たな出費に眉を顰めた。
「こんにちは、今日、隣に引っ越してきました者ですが……」
やっとついた隣家で、庭に面した納屋にいたおばさんに挨拶をする。用意していた茶菓子を渡す。
「えっ、あんた一人で暮らすんけ?」
さっさと、次の家に行こうとしていたが、田舎にはプライバシーという言葉は無いのかと溜め息をつきたくなるほど、身上調査をされた。
お茶とお菓子を縁側で食べながら、他の家も回らなくてはいけないのだと、文子は焦る。しかし、おばさんは文子より遣り手だった。
軽トラが庭の前に止まると、隣の家の夫婦が遣ってきた。
「誰が引っ越してくるんやろと、村中の噂やったんや」
文子は、慌てて立って挨拶をする。
「山中と言うもんです。ほら、あっちの大きな柿の木がある家や」
この家も山中だったと、親戚なのかと文子は考えたが、あとからこの地区に住む半分は山中姓だと知る。そうこうするうちに、畑からおじさんも帰ってきた。一から文子の身の上を説明し直す。
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