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「俺もあれからすぐ大学を卒業して、しばらくこの街を離れてたんだが、この春からまた異動で戻ってきて、君のことを時々思い出してた。そしたら今日、また君に会った」
ソファの向かいに置かれた椅子に腰かけて、穏やかな声で話す芳崎と向き合っていると、なんだか口説かれているような気分になる。
佳人はそんなことを考える自分を愚かしく思い、そこから先はもう芳崎の顔をまともに見ることが出来なくなった。
佳人はゲイではないが、かといって女性が特に好きという訳でもない。誰ともまともにつきあったことがないから自分のセクシュアリティも、実を言えばよく判らずにいた。
恋愛うんぬんよりも前に、人との関係の築き方が判らないのだ。だからこんな風にまっすぐに見つめられると非常に困る。
そんな困惑を悟ったのか、芳崎はさりげなく佳人から身を離し、立ち上がった。同時にアナウンスが流れ、予定より早く運転再開となることが知らされた。
それから芳崎は佳人が遠慮するのにも構わず、心配だからと運転再開した電車に乗って、佳人のアパートまで送ってくれた。
日はすっかり暮れていて十月初旬とはいえ夜風は肌寒いほどだった。
芳崎に借りたままのコートを着て、佳人は訊かれるままに、大学には行かなかったこと、現在は板前の修業をしていること、独り暮らしをしていることなどを言葉少なに語った。
一日のうちにこんなにたくさん人と話をしたのはいつぶりだろう。
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