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あれは盆踊りだったか神社の夏祭りだったかもう定かではないけれど、少し音の割れたスピーカーからの賑やかな音楽と、浴衣を着た人々のざわめきと、露店の焼き物やランプの上気した匂いが風に乗って切れ切れに届き、佳人の感覚を揺らしていたことを覚えている。
それらがどこかもの悲しく思い出されるのは佳人がその賑わいから離れた、薄暗く、ひんやりとした場所に独りで座っていたからかもしれない。
慌ただしく佳人を神社の境内の奥に座らせ、あの人はここで待っていなさいと言った。
そのとき自分がどんな顔をしていたのか、相手には判らなかっただろう。佳人はキツネの面を被っていたからだ。
熱を出した弟の手を掴んだ叔父に、佳人は初めて物をねだった。お面が欲しかったわけじゃない。ただ自分の顔を隠したかったのだ。
転んで足を怪我した自分と、熱を出した弟のどちらを彼が選ぶかは考えなくても判った。
大きな背中におぶわれて赤い顔で苦しげに目を閉じる弟を気遣うふりをしながら、佳人はそのとき何かを諦めたのだと思う。
すまない、すぐ戻るから、と繰り返す叔父に佳人はお面を被ったまま無言で手を振った。
その言葉どおり叔父はきっと急いで家に帰り、弟を叔母に預けて、すぐに戻ってくるのだろう。今度は足を挫いた自分を背負って帰るために。
佳人はお面を被ったまま、夜空を見上げた。星はほとんど見えなかった。
曇天の夜空に僅かに瞬くのは、あれは多分一等星というのに違いない。そんなことを一生懸命に考えた。
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