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「せめて進路だけは寄り添って考えたいと思っていたのですが、十分な学力があるにも拘らず、彼はとにかくすぐにでも家を出て働きたいのだと言って、大学への進学を頑として拒みました。家の人への遠慮があるならと奨学制度についても説明しましたが、やりたいことは決まっている、だから進学はしないとはっきり言われまして、義理のご両親にも翻意させることは難しかったようです」  何が彼をそこまで頑なにしたのだろう。取りつく島もないほど徹底した佳人の拒絶ぶりには歪なものさえ感じる。 「何も出来ないことへの虚しさに打ちのめされながら卒業の日を迎えました。卒業証書を持って誰とも話さず、早くから帰り支度を始めていた彼を見つけて、せめて何か声をかけようと近づくと、思いがけず彼の方から挨拶に来てくれたのです」  お世話になりました。どこか清々しくも思える表情に加藤は胸を衝かれたという。そしてその後に続いた言葉には、本当に胸を塞がれたと。 「彼は、一度だけ先生と一緒に弁当を食べたのがいい思い出だと言いました。彼が自分で作った弁当を見て、私が綺麗で美味そうだと言ったことをよく憶えていて、それで料理に興味を持つようになったのだと。そんな私自身が忘れていたようなことを、本当に大切そうに話すのです。私は、ああ、しまった、と心の底から思いました。間違えたんだと。彼は決して芯から冷めていた訳じゃない。そのことに最後の最後になってやっと気が付いたんです。例え彼の中で決められたルールや設計図があったのだとしても、もっと幾らでもかけてやれる言葉があったはずなんです。あと一歩踏み込めば、もしかしたら彼の心の声を聞くことが出来たかもしれないのに。……悔やんでも悔やみきれませんでした。本当に苦い後悔となって、今でも私の中に残っています」  喋り疲れたのか、加藤は僅かに肩を落として寂しそうに笑った。
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