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「佳人?」
返事はない。小さくお邪魔します、と断ってからキッチンへと入ると、テーブルの上には所狭しと料理が並べられている。
その中心には丸い生クリームのケーキが置かれていて、表面には先日の駄々っ子おねだりへの意趣返しなのか、「えいじくん 27さい おたんじょうびおめでとう」という文字がチョコレートソースで書かれていた。
小さく噴き出して、佳人の姿を探す。
と、リビングのソファの向こうにぺしゃと座り込み、両手を床につきながらゆらゆらと揺れている佳人の姿があった。
まるで生まれたての小鹿のような不思議な体勢で眠っているのに驚いてそっと傍に寄ると、眠いのを懸命に堪えている様子で目蓋をぴくぴくさせている。
床について体重を支える、猫のように握られた拳には白い粉がついていて、彼の奮闘ぶりが窺えた。あまりにも愛らしい姿に芳崎はあぐらをかいてしばし見惚れる。
アップにした髪からの後れ毛が、柔らかいカーブを描いて肩先で揺れるのを、ひどく切ない気持ちで見つめた。
「佳人」
細い二の腕を掴んで、そっと引き寄せる。
「おいで」
囁くように言うと、佳人は寝ぼけたまま大きな芳崎の身体によじ登るようにして、素直に広い胸に身を預けた。
猫のように軽くてコンパクトな身体は、すっぽりと芳崎の腕の中に収まってしまう。
起きている時には決して見られないような甘い仕草で頼られて、胸の奥には軽い痛みさえ感じた。
無意識にきゅっと芳崎のシャツの胸元を掴む手を包んで、よりしっかりと抱き締めながら白い額に優しいキスを落とす。
「……ったく、誰がお前より可愛いって?」
髪をほどき、撫でてやると、ぅ…ん、と小さくうなって芳崎の胸に横顔を埋め、そのまままた安堵し切った様子で眠ってしまう。
芳崎は苦笑し、料理はもう少しお預けのままで、ケーキよりも甘い体温を味わうことにした。
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