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「返事は今すぐじゃなくていい。俺は案外気が長いよ。でも君をいたずらに迷わせたりはしない。君は奪われるくらいの方がいいんだ、考えるよりも」  そうだろ? と目で告げ、廣瀬はそっと佳人を解放した。  何も言えずに唇を震わせる佳人に軽く片目を瞑ってみせると、廣瀬はまた会いに来るよ、と手を振って背を向けた。  佳人は激しく脈打つ心臓を持て余しながら、廣瀬の背中を見送った。  君は奪われるくらいの方がいい。その言葉がいやに耳に残ったのは、それが正鵠を射ていたからかもしれない。  佳人は欲しくても欲しいとは言えない。考える時間は不安と恐怖だけを生む。何も考えられないくらいに奪われたい。  そう願ってしまう自分はとても狡くて、どうしようもなく臆病な人間なのだと、判ってはいるけれど――。  その翌日。午後八時を過ぎた頃、誠が例のクッキーを届けるためにアパートを訪れた。いつになく顔色が悪く、心なしか元気がないように見えて佳人は眉を顰めた。 「元気ないな、体調悪いのか」 「ううん、大丈夫。……ここのところ、ちょっと眠れなくて」  誠はうっすらと隈のおりた目許を押さえながら力なく微笑む。こんな表情を見るのは珍しく、佳人は中へ招くべきかどうか迷ったが、いち早くそれを察した誠はすぐに帰るから、と告げた。 「寒くなってきたから、早く帰ってすぐ休めよ」 「うん、ありがと」  柔らかく微笑んで誠は玄関のドアに手をかけたが、少し躊躇ったあと佳人を振り返った。
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