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「おかしいではないか。わしはたかが足軽組頭。いやさらにもとはといえば、尾張中村の百姓の出。ほんの数年前まで、弥五郎や伊与と、1束20文の炭を、買うの買わないので話し合っていた程度の男よ。……それがいまや、織田家と尾張の命運を背負って南近江に向かっている。これが笑わずにいられるか」
「炭、か。……そんなこともあったな」
伊与が、懐かしそうに空を見上げた。
俺も、あの時代がすでに懐かしい。
この時代の両親と、伊与と共に、加納の楽市で炭売りをしていた時代。
もうあれから9年になるか。思えば遠くへきたもんだ。
「汝ども。……これァ、神がかりじゃぞ」
藤吉郎さんは、不敵な笑みを浮かべ、俺たちを見回しつつ言った。
「水呑み百姓と炭売りと泥棒。これらがたったの4人だけで、尾張一国を救おうというんじゃ。聞くものが聞けば気がふれたと思う。それほどの難事業よ」
「覚悟の上です」
俺はうなずいた。
「これからの俺たちの踏ん張り次第で、織田家が、尾張が、そして天下が救われるかどうかが決まる」
伊与が、わずかに眉を動かした。
俺からのちの歴史を知らされた伊与は、信長を救うことが天下の歴史を動かすことを知っている。
大げさでなく、ここからの俺たちの動きは日本史を決める動きになるのだ。
「天下とはよかった」
藤吉郎さんは、げらげら笑った。
憎いほど晴れ渡った空に、のちの天下人の笑声が轟く。
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