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第四部 第二十六話 弥五郎救出作戦
「藤吉郎、正気か」
信長は、さすがに汗を垂らして問うた。
前後を敵に挟まれた状態で、山田弥五郎の救助など自殺行為である。信長だけではなくその場にいた誰もがそう思った。
しかし藤吉郎。
白い歯を見せて笑う。
「身体の半分を探しにゆきますんでのう。命懸けにもなろうというもの」
弥五郎は自分の半身だというのである。
嘘ではないと誰もが思った。木下藤吉郎がひとかどの大将となってこの場にいることに、山田弥五郎の助けはあまりにも大きかった。
皆がそれを知っていた。藤吉郎の言葉は大げさでもなんでもないし、また今後の藤吉郎に弥五郎はやはり絶対に必要なのだと織田家臣団は思った。
しかし、である。
「それならオレも同じこと」
滝川一益が立ち上がった。
「オレがいまこうしてここにいるのは山田のおかげだ。あいつを助けるならオレもいく」
「滝川さんよ。あんただけいいかっこうはナシだぜ。そういうことならオレっちも残る」
前田利家が言った。
すると、佐々成政もまた、
「…………」
無言で立ち上がる。
誰もが若い頃から弥五郎と共にあった者たちであった。心は皆同じであった。弥五郎を助けたい!
「又左、それに滝川どのと佐々どのも。気持ちはありがたいが汝たちには別の頼みがある」
「頼みだと?」
「伊与とカンナのことよ」
藤吉郎に言われて、前田利家たちはハッと顔を見合わせた。
「わしは死ぬつもりはない。弥五郎も必ず生きて帰る。しかし、世に絶対はない。万が一ということもある。そのときは――汝ら、どうか岐阜の伊与たちの面倒を見てやってくれぬか」
そのためにも、汝たちは生きて帰れ。
藤吉郎はそう言っているのだ。――そう言われると、さすがの前田利家たちも一言もなかった。
「藤吉郎。そちの願い、確かにこの三郎も引き受けた」
そのとき信長が、甲高い声で口を開いたので、藤吉郎たちは揃ってその場に平伏した。
「岐阜に残った山田の女房や子供、家来衆は、誓って余が守りぬいてみせる。藤吉郎、そちの女房も同様じゃ」
藤吉郎は、はっ、と答えた。
まだ20歳を越えたばかりの妻ねねは、信長と何度か顔を合わせているが、意外なほどウマが合っているのを藤吉郎は知っている。信長の言葉に嘘はないと信じられた。
「では藤吉郎に、山田の救援を任せる。また金ヶ崎には全軍の殿軍として先日織田家中に入った男、池田勝正を残そう。残りは余と共に撤退! ゆくぞ!」
かくして織田軍は、退却を開始した。
残るは藤吉郎のみ――というところへ、巨体の男がヌッと現れ、
「まさかオラにも帰れとは言わねえよな?」
「小六兄ィ」
蜂須賀小六が、あごひげを撫でながら笑っていた。
「藤吉郎どのよ。オラも行く。山田と長い付き合いなのはオラだってそうだからな」
織田家の武将となったことで、近頃は喋り方まで落ち着いてきた彼を見ると、藤吉郎もなにやら安堵してうなずいた。
「小六兄ィがいてくれりゃ、百人力じゃ」
「甘い甘い。一騎当千よ。……しかし藤吉郎どの、山田は越前のどこにいるのか」
「それなんじゃが……」
そう答えたところへ、またひとり、ヌッと影が現れた。
「おっ。お前は……?」
「……明智殿」
藤吉郎は怪訝顔を作った。
先日、竹中半兵衛の推挙によって織田家中に入った武士、明智光秀が登場したのである。
藤吉郎は、まだこの男と親しくない。というより家中の誰も彼とは仲が良くなかった。なるほど優秀な侍なのは事実なようだが、どうにも人を寄せ付けぬ、なにか冷たいところが彼にはある。
それでも藤吉郎。
笑顔を作り、声をかけた。
「明智殿、ご無事でござったか。ここは危ない。殿様たちは退却されたゆえ、汝も退かれよ」
「お断りいたす」
「なに?」
「話は聞いた。木下どの。山田弥五郎を助けにいくそうじゃが。……この十兵衛も同行いたす」
「なんだと? なぜ、汝が……」
「山田弥五郎には竹中半兵衛どのも同道していたと言う」
光秀の言葉に、藤吉郎と蜂須賀小六はハッとしたように目を見開いた。
「この十兵衛(明智光秀)にとって竹中どのは恩人。見捨てるわけにはいかぬ。助けにいく」
「……お、おお、そうか……」
光秀の冷たい、抑揚のない声。
しかしその声音とは裏腹に、恩義に厚い発言をされて、さすがの藤吉郎も多少面食らいながらしかし首肯し、
「そうまで言われるなら共に来てもらおう。いや、これは心強い。明智殿は鉄砲も武勇も知略も天下一品という。これなら弥五郎は見つかったも同然じゃ! のう、小六兄ィ?」
「あ、ああ。まあ、そうだな……」
いまいち光秀の人物像をつかめないふたりは、なお戸惑っていたが、しかし少なくともいまは同じ目的で動けると信じ、光秀を仲間に加えることにした。
「ところで木下殿。山田弥五郎の行方についてこの十兵衛、少しばかり考えることがござる」
「ほう、なんでござるか?」
「実は先ほど、森の中で敵の忍びと出くわし申してな」
「忍び?」
「そう。織田軍の動きを探っていた忍びでござる。朝倉か浅井の手のものかと思い、十兵衛、捕らえてからひと責めしたのでござるが」
あっさり言いやがるわ。
あまりひとを殴る蹴るの話が好きではない藤吉郎は、内心眉をひそめたが、しかし顔には出さずフンフンそれでと続きをうながした。
「しかしその忍び、なにも吐かぬ。仕方なく、すぐそこの樹に縛りつけてござるが、この忍び、あるいは山田弥五郎の行方と関係がございませんかな?」
「そこの樹……」
言われて近場の森に目を向ける。
「あそこでござる」
光秀に案内されて、藤吉郎と小六は向かった。
すると、確かに男が樹木に荒縄で縛りつけられている。
緑の装束を着込んだその人物は、反抗的な眼差しをこちらに向けていた。
「なるほど。ところで明智殿、この忍び、なにか持ち物は? 書状など持っておらなんだか?」
「いや、そのようなものはなにも。……ただ、兵糧は持ってござったな。これでござる」
そう言って光秀は、竹の皮の包みを差し出す。
藤吉郎はそれを受け取り、包みを開いた。すると、
「む……!」
「なんだ、こりゃ」
蜂須賀小六はキョトン顔をした。
しかし藤吉郎は、それを見てピンと直感する。
「こりゃ、へぼ五平じゃ……!」
そう。
かつて弥五郎たちと共に出向いた戦場、川中島。
その場所で武田軍のために弥五郎が発明した食べ物、へぼ五平!
――するとこの男、もしや甲斐の忍び……? 武田家の者か? 弥五郎は武田家に捕まって……?
藤吉郎の頭は鋭く回転する。
そして、
「……やあやあやあ、なんとおぬし、こんなことになっておったか! すまぬ、すまぬのう!」
藤吉郎は突如、ニコニコ顔で男に接近した。
「……?」
忍びは、目を白黒させるのみ。
だが藤吉郎は、まるで意に介さず、
「気にするな。ここにいるのはわしらの仲間のみじゃ。……のう。おぬし、武田家の手の者じゃろう?」
藤吉郎がずばりと斬り込む。
これには蜂須賀小六も明智光秀も目を見開いたが、藤吉郎はやはり満面の笑みのままで、
「分かっておる、分かっておる。なにも言うな。……のう、わしは織田家の木下藤吉郎じゃが、じつは武田家と通じておる間者じゃ。嘘じゃと思うか? ならば武田家の者しか知らぬ秘密を語ろうか。そうじゃなあ――」
藤吉郎は、ちょっと考え込む仕草を見せてから、
「ほれ、春日源五郎どのがおるじゃろう。あのお方、冬は寒がりでのう。アノラック、というイノシシの皮を使った着物をよく着ておった! どうじゃ、これで信じてもらえるか?」
「あ。……は、ははあ……! ……味方とは存ぜず申し訳ござらぬ……!」
忍びはそこで、やっとわずかな笑みをこぼした。
藤吉郎は、ニタリと笑った。――やはりこの忍び、甲斐の忍びであったか!
「いやはや、まさか味方同士でこんなことになるとはのう。ふふ、三郎信長の目が厳しゅうて、なかなか連絡が取れずにすまなんだ。……それで、ひとつ尋ねるが、山田弥五郎はいま、どこにおるか知っておるか?」
「はっ。山田弥五郎ならば、金ヶ崎城から南東に1里の場所にある廃寺に捕らえておりまする」
「おおっ、そうか! なるほど、ようやった!」
藤吉郎は、でかしたとばかりに相手の両肩をばしばし叩く。
そして、
「よし、ではさっそくわしはその廃寺に行くとしよう!」
「あっ、お、お待ちあれ。この俺も助けてくだされ」
忍びは情けない声を出す。
目の前の藤吉郎を、仲間だと信じ切っている様子だ。
藤吉郎は「おう、そうじゃったの」とニコニコ笑いながら忍びに顔を近付けて、
「しかし汝は、もうちょっと眠っておれ」
「へ?」
「そりゃ」
がつん、と。
藤吉郎の攻撃が忍びの脳天に炸裂し、彼は気絶した。
リボルバーのお尻で殴ったのである。護身用として弥五郎からもらっていたリボルバーだったが、こんな形で役に立つとは思わなかった。
「よし、いくぞ、ふたりとも。弥五郎を助けるんじゃ」
「藤吉郎どの、この忍びは斬っておいたほうがいいんじゃねえか?」
「小者じゃ。生かしておいても問題あるまい。それにわしは人を意味もなく斬るのは好きじゃにゃあで」
「ふん、相変わらず甘いことだな。……まあいい。そいじゃ、向かうか。……おっと、明智殿、なにをぼんやりしてるんだ? 早く行こうぜ」
これまでの一連の光景を、明智光秀は呆然として見ていた。
が、彼も事態を把握したのか、駆け足の藤吉郎と蜂須賀小六に続いて走り出す。
「木下殿。貴殿、なんというお人か。忍びに、ああまでカマをかけるとは」
「なあに。武田家の春日源五郎とは昔、ちっとばかり縁があったでのう。その経験が生きたまでの話じゃ」
「無駄口が多いぞ、おふたりさんよ。見ろ、廃寺が見えてきた。……あそこに山田がいるはずだ!」
なるほど、森の中に薄汚い寺が見えた。
人の気配もする。わずかに声も聞こえた。
藤吉郎、蜂須賀小六、そして明智光秀の3人は、ニヤリと笑い合い、そしてそれぞれ刀を抜いた――
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