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第四部 第二十七話 金ヶ崎へ走れ
「…………?」
俺はふっと、顔を上げた。
なにか気配を感じたのだ。
殺気? 違う。攻撃的な気合ではあるが、しかし暗い気持ちではなく、もっとこう、明るい戦いの空気。――そんなものあるのか、と自分自身でも思うが、だが確かに感じたのだ。
「どうされました? お師匠様」
未来が、にやにや笑いで迫ってくる。
「いまごろ織田信長は浅井と朝倉に挟み撃ちにされ、戦場の屍となりはてていることでしょうねえ。想像するだけで、うふっ、楽しゅうございますねえ」
「…………」
「そしてお師匠様と、神砲衆の命運もこれまで。さあ、お師匠様たちはこれからどうなるのでしょうか。ぞくぞくします。いずれにせよお師匠様の命はこのわたくしの手で必ず奪う――」
「あんた、ごちゃごちゃ口数が多いよ」
五右衛門がせせら笑いつつ言った。
「勝負はまだ終わっていない。弾正忠さまが討ち死にされたって報告もないうちに勝ち誇るのは、ちいとばかし気が早すぎるんじゃないかい? ま、愛しの弥五郎の前でイキリたいのは分かるけどねえ」
「む。――」
未来は、ムッとしたように眉根を寄せて、しかしすぐに微笑を浮かべると、
「ふふ、お可愛いこと。ずいぶんと強がっておりますわね。……五右衛門さん、勘違いしておられるようですが」
そこで未来は、すっと。
短刀を構え、五右衛門の喉元に突きつけ、かと思うとぐっと五右衛門の足首を踏みつけた。
「うっ……!」
五右衛門が、わずかにしかめっ面を作る。
「お師匠様や竹中半兵衛ならまだしも、あなたには人質としてなんの価値もないのです。いますぐここで殺してあげてもよろしいのですよ?」
「っ……!」
「ふふ。あるいは指を一本一本切り落としてもいいのです。あまり残酷は好みませんが、そういうやり方ができないわたくしではありませんことよ?」
「よせ、未来……!」
俺は鋭く声をあげ、未来を睨みつける。
未来はニヤニヤ笑っていた。さあどうしましょう、と言わんばかりだ。まずい。このままじゃ、五右衛門がいたぶられる。殺される――
「……!?」
そのとき、また俺は気配を感じた。
近付いてくる。確かに感じる。わずかな足音。かすかな息遣い。未来や武田忍者や五右衛門でさえ気付いていないようだが、これは、しかし確実に――そうか、そういうことか! あいつ、助けに来てくれたか!
瞬間、俺は大声で叫んだ。
「みんな、入口から奥に向かって転がれっ!!」
「――!!」
俺の声に反応して、次郎兵衛、半兵衛が部屋の奥に向かって縛られたまま転がる。小一郎は「えっ、なに――」と反応が遅れたが、五右衛門が体当たりをかましてくれたので同じく転がれた。むろん俺も転がった。
その瞬間、ばあん、と部屋の入口が勢いよく開き、
「弥五郎、無事かぁっ!」
「藤吉郎!」
藤吉郎が、刀を構えて飛び込んできた!
蜂須賀小六に、……明智光秀!? こいつは意外なご登場だが、とにかく3人が突っ込んできたのだ!
「木下藤吉郎!? なぜここが!?」
「うるせえ、とにかくくたばりやがれ!!」
驚愕する未来に向けて、小六が刀を振りかざす。未来は慌てて身をのけぞらせかわしたが、その分、彼女の隣にいた忍者がそのまま斬り倒された。
武田忍軍が、くないを構える。
さすがに彼らはもう慌てていない。
奇襲の効果はもはや終わった。藤吉郎たちの突入から5秒と経たぬうちに、忍びたちは反撃の体勢を整えて、
「遅い」
明智光秀が、舞った。
華麗としか言いようがない剣舞。
するとその場に、数多の血液が噴き上がる。
10人はいた武田忍者。そのことごとくが、明智光秀の刀の錆にされてしまったのだ。……強い! なんて強さだ!
「明智十兵衛……さすがだが、なぜここに……?」
「半兵衛への義理よ。同じ美濃人の半兵衛を助けるために、わしらに同行したのよ」
俺を縛っている縄をほどきながら、藤吉郎が言った。
なるほど、半兵衛との友情か。――確かに、明智光秀はまだ縛られている半兵衛をちらりと見てから、こくりとうなずく。半兵衛も首を縦に振った。
「お、おのれ……。まさかこの場所がばれるなんて……!」
未来は、美麗な顔立ちを歪めて睨みつけてくる。
頼みの武田忍軍は、すでに明智光秀と小六によって壊滅していた。特に明智光秀の戦いぶりはすさまじかった。不意打ちを食らわせたとはいえ、あの武田忍者たちをことごとく死に追い込むとは……! さすが、というべきか。
「未来。降参しろ。この状況でそちらに勝ち目はない」
縄を解かれた俺はスックと立ち上がり告げた。すでに五右衛門も次郎兵衛も半兵衛も自由の身となっている。そして小一郎も、
「小一郎、汝もおったのか。無事でなによりじゃった」
「あ、兄者。すみません。兄者と山田さんの足手まといとなってしまって」
縄を解かれ、藤吉郎と兄弟再会ということになった。
泣きそうな顔をしている小一郎の肩を、ぽんぽん。
気にするな、と言わんばかりに叩く藤吉郎。――こうして俺達は全員救助されたのだ。
「……ふふ。さすがにお師匠様は悪運がお強い」
未来は、冷静さを取り戻したのか微笑みを浮かべ、
「ますます惚れ込みました。ここは一度退散しますが、お師匠様、せいぜい生き延びてくださいましね。あなた様を殺すのはこの未来の役目なのですから」
それだけ告げると未来は、ふわっ。
着ていた衣を空中に巻き上げ、かと思うと次の瞬間にはその場から姿を消していた。
「未来……!」
「逃げおったか」
俺と藤吉郎は、揃ってうめき声を出した。
未来。……いまは亡き飯尾家の娘。彼女も、しかしこの乱世で人生の歯車が狂ったひとりか。
「しかし藤吉郎、よく来てくれた。助かったよ」
「気にするな。困ったときはお互い様だで。汝を見捨てて逃げることなどわしにはできんよ」
「おふたりとも、あまりゆるりと話をしている場合ではございませんぞ」
半兵衛が、たしなめるように口を開いた。
「なにしろここは敵地の真っ只中。急いで逃げなくては朝倉や浅井の兵にやられます」
「もっともじゃ。とにかく退却しよう。金ヶ崎まで逃げれば織田方の池田勝正どのの手勢がおる。あそこまでなんとか逃げるのじゃ」
藤吉郎の言葉に、全員がうなずく。
俺、藤吉郎、小一郎、半兵衛、五右衛門、次郎兵衛、小六、そして明智光秀の8人は廃寺を出て、森の中を駆け出したわけだが、
「うッ!?」
森をいままさに出ようとしたとき、藤吉郎は顔を歪ませた。
理由はすぐに分かった。……目の前に、朝倉の兵が陣を築いていたからだ。
その数、およそ100。たいした数ではないが、さすがに8人でこれを突破するのは苦しい!
「参ったのう、こいつは」
「他の道を行くかい?」
「いや、五右衛門のアネゴ。越前を抜け出すにはこの道しかねえッス。あるいは山の中を行く手もありやすが」
「賛同できかねる。兵糧も水もろくになく、山越えの準備もしておらぬのだ。山道を行けば死が待つのみ」
藤吉郎、五右衛門、次郎兵衛、明智光秀がそれぞれ小声でささやき合う。
すると小一郎が、すがるような目で俺を見て、
「山田さん。なにかすごい武器や道具はありませんか? この場をうまく切り抜けられるような」
「悪いが、手持ちはリボルバーとパームピストルがひとつずつ。あとは普通の脇差だけだ」
「ちっ、頼みの山田の道具もなしかよ。よう、竹中半兵衛どのよ、ここはひとつあんたの知恵でどうにかならねえか?」
「さて……。せめて兵が20でもあれば工夫もでき申すが、こうまで多勢に無勢では」
小六も半兵衛も、さすがに万策尽きたという顔であった。
いよいよこいつは覚悟を決めるか。誰もがそう思った顔つきであった。
「いざとなったら、弥五郎。あんただけでも逃げなよ」
「五右衛門。……なにを言う」
「あんたにゃ伊与とカンナがいる。それにあんたの知恵と武器作りはこれからの織田家に、いや天下にぜったいに必要だ。なにがなんでもあんただけは生かしたい」
「馬鹿なことを言うな。……みんなで生き延びるんだ。俺も五右衛門も、みんなも、全員で必ず生きて帰るんだ」
「よう言うた、弥五郎。わしも同じ気持ちよ」
藤吉郎が、ニヤっと笑う。
「かくなる上は、8人一丸となって突撃し、そのまま敵陣を突破して金ヶ崎まで一気に逃げよう。それしかない」
「無策突入とは我が流儀に反する、がこの場ではやむなしですな」
「せいぜい、大暴れしてやるか」
藤吉郎の言葉に応じるように、半兵衛と小六が刀を抜く。彼らだけでなくメンバーは誰もが得物を構えた。そして走り出す構えを取る。
「――ではゆくぞ! 目指すは金ヶ崎!」
「おお!!」
誰が選んだわけでもないのに、気がつけば場の大将は藤吉郎になっていた。さすがの英傑といったところだが、とにかくその声音に応えて俺達は、
「いけえええええええぇっ!!」
眼前にある朝倉家の軍団に向かって突入したのだ。
「な、なんだ! 奇襲か!」
「者ども、構えよ。敵がきたぞ!」
「ええい、なんというところから来るのだ!」
朝倉勢は慌てふためく。
そこへ俺達は雄叫びと共に入っていった。
斬る。撃つ。叩く。叫ぶ。人一倍暴れまわりながら、朝倉の陣を突き破っていく。
「汝ら、立ち止まるな、走れェ!」
「バラバラにならぬように。一丸となって走るのです」
「う、うおおおお、おおあああ!!」
小一郎などは武芸に自信がないため、ひたすら刀を振り回しながら叫ぶだけだ。もっともそれが逆に功を奏した。敵は不気味がって近づいてこないのだ。いいぞ!
だが、そのときだ。
かすかに火薬の臭いがした。俺には分かった。敵が火縄銃を用意したのだ。まずい。どこだ、どこからこちらを狙っている――
「そこか!」
俺はリボルバーを構えて、火薬の臭いと殺気を感じた方向に身体を向け、すぐさま引き金を引いた。
たあん、たあん!!
「うぐっ!」
「おあっ!」
こちらを狙撃しようとしていた銃兵ふたりを、射殺する。
眉間を綺麗に撃ち抜いた。敵は即死だろう。
「さすがッス、アニキ!」
「褒めるのはあとだ! 走れ!」
なお俺達は走る、走る――
朝倉の陣の果てが見えた。もう少しで突破だ! いけるぞ!
そのときであった。
「う、あッ……!?」
悲鳴が聞こえた。
振り向くと、五右衛門が倒れていた。
眉根を寄せて、苦しそうに呼吸している。
よく見ると、彼女は右の足首が青くなっていた。敵にやられたのか? いや違う。あれは、あれは廃寺の中で未来に踏みつけられていた箇所だ、あのときすでに怪我していたんだ!
「五右衛門!」
「馬鹿、来るな! 走れ、弥五郎!」
「そうはいくか!」
俺は引き返し、五右衛門へと駆け寄る。
そして手を差し伸べて、彼女を肩で支えたのだが、
「弥五郎! 敵が……!」
藤吉郎の声が聞こえた。
振り向くとそこには、朝倉の兵が何人も揃って、こちらに槍や刀を向けていたのだ。だめだ、やられる。怪我した五右衛門を連れたままでは戦えない!
くっ、これまでか……!
思わず目をつぶり、観念したときだった。
血が飛び散る。
そんな気配があった。
目を開くと、俺と五右衛門を襲おうとしていた朝倉勢がことごとく血まみれになり、その場にどさどさと倒れ込む光景が広がっていた。
侍がいた。
年の頃は俺と同じくらいだろうか。
古びた鎧に長い槍を構えている、なかなかの武者ぶり。誰だ、このひとは。いや待て、どこかで感じた気配がする。このひとは、このひとは……!
「こんなところで出くわすとは、人の縁とは分からないものだね」
「あ、あなた様は――」
「10年、いや15年ぶりか。久しぶりじゃないか? なあ――」
その武者は、返り血を浴びた顔で、しかしさわやかな笑みを俺たちへと向けたのだ。
「梅五郎、それに与助」
「ま――」
「松下嘉兵衛さまっ!?」
俺と藤吉郎は、揃ってすっとんきょうな声をあげた。
絶体絶命の俺を助けたのは、なんと。――かつて俺達と共に商売を行った、頭陀寺城の少年領主、松下嘉兵衛さんだったのだ!
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