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第四部 第四十五話 武田忍軍最終決戦
俺は、野田城を取り囲む土塀――
その塀の頂点を少し掘った穴の中に隠れていた。
そして、少しだけ顔を出して、城を囲んでいる武田軍を見つめる。
ピィーッ、ピィーッと。
呼子笛は、吹かれ続けている。
吹いているのは、俺の隣にいる小一郎だ。自分はみんなの役に立っていないから、せめて笛吹きくらいは立派に務めたいと申し出たのだ。
この笛の音と、五右衛門の流言、それに松下さんの兵糧買収策。
みっつの作戦で、武田軍の統率と士気が乱れているのが、俺にも分かる。
「信玄は動くはずだ」
俺は、小声で言った。
「この音の正体を突き止めるために」
「……来るでしょうか? あの武田信玄が」
小一郎が、尋ねてきた。
「来る。武田全軍の乱れを引き締め直すには、大将がみずから動いて、謎を解明しようとするだろう。――笛を、続けてくれ」
「は、はい」
ピィーッ。
ピィーッ。
ピィーッ。
「駿河や遠江の兵を、自軍に引き入れたばかりの武田家は、まとまりに欠けている」
ピィーッ。
ピィーッ。
ピィーッ。
笛は、鳴り続ける。
「だから総大将の信玄みずからが動いてでも、軍をまとめようとする。きっとそうなる」
ピィーッ。
ピィーッ。
ピィーッ。
「きっと――」
ピィーッ。
ピィーッ。
ピィー――
「…………」
「……? どうした、小一郎」
「山田さん。あ、あれ……えっと、よくは見えないのですが……」
「続けろ。笛を吹き続けろ」
急に笛を吹くのをやめた小一郎に、注意しつつ、俺は――またピィーッピィーッと笛の音が戦場に響く。――俺は、穴から顔を出し、武田軍の中を見つめた。すると、
「……!」
赤い鎧を着込んだ武者が、数名の男に囲まれて、ゆっくりと野田城に近付いてきている。あれは、まさか。いや、――俺は目を一度強くつぶると、カッと見開いた。
カメラのズームのように、男たちの顔が見える。
甲賀で鍛えた夜目である。見える。あの武者たちは、
「武田軍。それも……信玄か!?」
「や、やっぱりそうですか!?」
「笛を吹くのをやめるな! ……小一郎、笛を貸してくれ。笛は俺が吹く。吹き続けるから、その間に藤吉郎たちを呼んできてくれ」
「は、はい!」
小一郎は、急いで穴を出て、城内の仲間たちを呼びにいった。
残った俺は、笛を吹きながら――信玄たちに変化を気付かれないために――穴の中で、銃を用意しはじめた。
ピィーッ。
ピィーッ。
ピィーッ。
「狙い撃てるはずだ。信玄がもう少し、近付いてくれば」
俺は火縄銃を構えた。
火縄銃の有効射程距離は100メートル。リボルバーの射程距離が20メートル程度なのに対して、5倍は長い。……だが、それでも100メートルしかない。
野田城の土塀の上から、武田軍の赤武者たちがいる川向こうまでは、ざっと見て、200メートル。火縄銃では絶対的に届かない。
「だがな……」
俺は火縄銃を構えながら、赤武者を狙う。
狙いつつも、俺はなお、引き金を引かなかった。
「弥五郎、待たせたの」
藤吉郎の声が聞こえた。
土塀の下。野田城内に、複数の気配が出現する。
藤吉郎だけじゃない。前田利家や佐々成政など、仲間達も集まったのだ。
「信玄が来たんじゃな? 撃てるか?」
「撃てる。そして当てられる。俺ならば」
「さすが弥五郎じゃの。しかし、ならばなぜ撃たぬ」
「簡単すぎる」
「なに?」
「策を仕掛けたのは俺だが、こうもあっさりと信玄を狙い撃ちできていいものか?」
「なんじゃと?」
「……なにか、臭いんだ。藤吉郎……」
それは俺の本音だった。
なにか、臭う。言葉にできないなにかが。信玄が、あの武田信玄が、こうもあっさりと俺にやられていいものか? ……ピィーッピィーッ。小一郎は、なお笛を吹き続けている。笛の音は、戦場に響き続けていて――そのときだ。
「……来る!?」
「全員、刀を抜け!」
和田さんと滝川一益が、揃って叫んだ。その声に応じて、前田利家や佐々成政らが刀を抜いたが、そのとき「ぐっ!?」と声があがった。――竹中半兵衛が、その場に膝を突いたのだ。腹部から、血が流れでていた。
「なんじゃ!? おい、半兵衛、汝、どうした――」
「不覚。……忍びです!」
「なんじゃと!?」
「その通り」
女の声が響いた。
和田さんと滝川一益が、くないを構えてその女を睨む。
一瞬遅れて、前田利家や佐々成政、明智光秀も構えた。
その女。
月明かりさえない夜の中で、微笑を浮かべているのは,――あの女。未来だった!
右手に短刀を構えている。
さらに彼女の背後には、黒装束を着込んだ忍びが、
「八名。武田忍者でござるか」
「抜かったぜ。城内に忍びが入っていることに気が付かねえとは!」
「ぐ……。……ふふ、恐らくは武田信玄直属の忍びたち。精鋭の中の精鋭でしょうな。この半兵衛にさえ気取られぬ,とは……」
「半兵衛、もう喋るな。……小六兄ィ、半兵衛を頼む!」
「おお!」
蜂須賀小六が、半兵衛を抱きかかえる。
俺たちは、未来率いる武田忍者たちと対峙した。
俺は、目を険しくさせた。
「もはや腐れ縁だな。お前と戦うのは、これで何度目だ?」
「数えずとも、これが最後ですわ。今回ばかりは必ず、あなた様を殺してさしあげますから……ふふっ。……城内に忍んできた甲斐がありました。その妙な笛の正体も、お屋形様を銃で狙う策も、よく分かりましたもの。……あとはあなた方を皆殺しにするだけ。それで、すべておしまい……」
「忍びのくせに、ずいぶん饒舌なことでござるな」
和田さんが、吐き捨てるように言った。
「まして直接、戦おうとするなど。笛の正体と、狙撃の策さえ見抜けば、あとはさっさと武田の本陣に帰るべきだったのではござらぬかな?」
「ごもっとも。しかし、それはできませんわ。……山田弥五郎。その男を、確実に殺せそうな機会ですもの。いまのうちに殺しておかねばならない。そう思ったのです。……なにしろお師匠様は手強すぎる」
「いい加減、お師匠様呼びはよせよ。お前を弟子にした覚えはない」
「では、弥五郎様。……ふふ、弥五郎様は恐ろしすぎます。あなた様ひとりがいるがために、織田家は大躍進。わたくしの飯尾家も、今川家も斎藤家も六角家も滅び去った。あなた様はそういう存在です。……ああ、妙なご謙遜はおやめくださいね。あなた様は実際に、多くの家を滅亡に追いやった方なのですから」
「…………」
「恐ろしい。織田家全軍よりも、織田信長よりも、……あなた様が恐ろしい。あなた様はここで、なんとしても殺しておかねばならない。この未来の命にかえても……」
「山田よ。こいつは本気だぜ。……そして言っていることも、もっともさ」
前田利家が、不敵に笑いつつ言った。
「山田。お前さんは数々の奇跡を生み出してきた男さ。オレっちでさえ、そう思う。……オレっちが敵の忍びでも、……機会があるならお前を殺すだろうな」
「又左」
「……心配すんな。お前さんは、オレっちが、いやオレっちたちが、守ってやるからよ」
「前田又左衛門。……『槍の又左』といえど、わたくしたちを止められると、思わないでくださいね」
「アニキ。この女の相手はあっしたちが務めやす。……アニキは……」
「そう、貴殿と木下どのは、信玄入道を狙い撃ちにされよ」
次郎兵衛と明智光秀が、構えた。
「なにしろ信玄入道を見たことがあるのは、お前と木下だけ」
「信玄を狙い撃ちするのは、ふたりしかいない」
佐々成政と伊与も、構えた。
「いくのだ、山田うじ。信玄を撃たねばならぬ」
「けっきょくはお前が頼りだぜ。……あかりちゃんを守るためにも、行きやがれ!」
和田さんと滝川一益も、構えた。
俺は隣にいる藤吉郎と共に、うなずきあって――
「みんな、頼んだ!」
その場から離脱し、――野田城の土塀の上に、藤吉郎と共に飛び乗った。
狙い撃つ。信玄を。……必ず、この俺の手で!
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