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第四部 第五十話 足利義昭の敗北
怒涛のように時勢が進んだ。
足利義昭は挙兵し、兵糧を集め武具を揃え、砦を築いた。
しかし、義昭の集めた兵糧や武具は二流のもの。築いた砦も、大したものではない。
なぜなら俺の神砲衆が、堺の会合衆と連携して、京の商人衆に圧力をかけ、義昭に良い米や武器を渡さないように仕向けたからだ。
義昭はこの点で、畿内の商人たちを守るべきだった。
神砲衆も会合衆もなんのその、征夷大将軍の名において、必ず京洛商人の権益と財産を保護する、と誓うべきだった。
だが彼は、そこまで気が回らなかった。
あくまで、上洛してくる武田信玄と連携し、信長と戦うことだけが頭にあった。
その信玄はとっくに死んでいるのにな。……遠江の松下嘉兵衛さんから書状が届いた。信玄の死は確実。おそらく今月末か来月には、武田軍は本拠地である甲斐に向かって撤退するだろう、という見込みだった。
その予測はあたる。
武田軍は、この年の3月には甲斐に向けて撤退を開始した。
そして足利義昭軍も、信長軍と戦い、敗北した。
信長はなお、足利将軍家に対して低姿勢で、和睦を何度も提案した。しかし義昭は、これを蹴った。
「もはや信長とは、二度と共に天を抱かず」
彼は公言した。
一度、誰かを嫌いになったら徹底的に嫌いになるタイプの人間らしい。
義昭は信長と完全対立を宣言し――結果として、信長は義昭軍を撃破した。
「都を焼き討ちせよ」
信長は、苦渋の決断としてそう言った。
「京の都を焼き討ちし、敵を徹底的に威嚇する。本意ではないが、そうでもせねば、あの足利将軍家は目を覚ますまい」
都の中にある義昭の御所を包囲している織田の陣中で、信長はそう言った。
この発言には、織田の諸将も重い顔をして、特に佐久間信盛などは渋い表情で、
「先日、比叡山を焼いたばかりですのに。都を焼き討ちして、祟りなどがなければ、よいのですが」
「それについては心配いたすな。都の神主に何度も尋ねた。焼き討ちについて祟りはないか、都の民衆は織田家を恨まぬか、と――。しかし、都の民衆は将軍家の政治に愛想を尽かしているから、焼き討ちをされても仕方が無い、と思っているらしい。また、これについては祟りの心配もない、との返答であった」
事実、義昭は民衆に嫌われていた。
都中の資産を、平気で差し押さえし(俺の神砲衆も金を取られた)、朝廷に献金もしない義昭は、悪御所と呼ばれ顰蹙を買っていたのだ。
信長の回答は、諸将を満足させた。
誰もが、都を焼き討ちして祟りを受けるのは怖い。
民衆を敵に回すのは、おそろしい。
「しかし、全京を焼き討ちするのは、いかがなものでしょう」
と、そのとき俺が口を挟んだ。
信長は、ぎろりと俺を睨んできた。
「すべてを焼けば都の民衆は完全に焼き出され、生活に困窮してしまいます。ここは、半分だけ焼き討ちするのが上策ではないでしょうか」
「…………。うむ、山田の言や良し。では将軍家と繋がりが深い、都の上京のみを焼き討ちする。皆の者、左様心得て下知に従え!」
信長の命令が下った。
諸将は、ぱっと陣中から散った。
信長と俺だけが、陣中に残った。
すると信長は、俺の手を取り、
「よう申してくれた、山田。余は都の完全なる焼き討ちなどしとうはなかった。都をすべて焼いて、京の都からあがってくる富を失うのは得策ではないからな」
「はっ。……都の商人衆は、義昭公に愛想を尽かしております。今回、完全に焼かずに助けることで、商人衆は織田家に恩を感じ、深く繋がってこようとするでしょう」
「その通りだ。京洛の商人衆が織田家の傘下に入ったならば、山田、そちがその衆の統括をいたせ」
「……ありがたき幸せ!」
俺は信長に頭を下げて、しかしすぐに顔を上げて言った。
「しかし殿様、焼き討ちをしたくなかったのは、富だけが目当てではないでしょう?」
「…………」
「なるべくならば、か弱き民を傷つけたくはなかったからでしょう」
信長は本質的に、そういう優しさをもった大将なのだ。
だからこそ、俺も藤吉郎も、彼を認め、心から仕えているのだ。
「山田」
「はっ」
「出過ぎじゃ。しゃべりすぎじゃ。……はよう、行け!」
「ははっ。申し訳ございません」
その命令が信長の照れ隠しなことも、俺には分かっていた。
義昭は、亡びた。
信長軍による攻撃を、何度も受けた。
義昭は敗北した。彼はとにかくあがいた。
ときには朝廷に、ときには西国の大名毛利家に、それぞれ助けを求めたが、――信長には敵わず、ついに敗戦したのである。
元亀4年(1573年)、7月18日のことである。
後世、一般的には――この日をもって、室町幕府は滅亡した、とされる。
そんな一日であった。
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