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第五部 第六話 堺の夜、血刀の夜
「久しぶりだな、堺の町も」
天正4年(1576年)3月。
織田家の傘下となった国際貿易都市、堺。
俺はカンナとこの町にやってきた。護衛は伊与と五右衛門のふたり。
そして――
「父上、父上。ひとがいっぱいやん! 岐阜より凄い! すごすぎるやん!」
「樹……。もう少し静かにしろ、恥ずかしい。……俊明、連れてきてよかったのか?」
「こうして大はしゃぎできるのも楽しいもんだろう。俺たちだって、最初に堺を見たときは驚いた」
そう。
我が娘、樹も今回の旅についてきたのである。
これまでずっと岐阜の屋敷で育ち、岐阜城下で育ってきた愛娘。
いいかげん、嫁にやるだのやらないだのという話が出ている娘だが、結婚するにせよ、しないにせよ、一度、広い世間を見せてやろうと思い、この町にまで連れてきた。
岐阜から堺まで、娘の足でついてくるのは厳しいだろう。途中、絶対に値を上げると思っていたが、樹は泣き言ひとつ言わず、平気な顔でついてきた。
「さすが伊与の娘だよな。足腰が頑丈だ」
「暇なときはうちが鍛えてあげてたからねえ。樹はスジがいいよ。立派な泥棒になれる」
「冗談でもそういうことは言うな、五右衛門……」
「あっあっあっ、すごい。あれ、南蛮人やろ? 南蛮のひとやろ? すごーい!」
どうもノリが軽い。
堺の町中は日本の武士や商人はもちろん、明らかに外国の者と思われるひとびとがチラホラ見受けられる。それを見て、興奮しているんだろうが……。
まあいい。
気を取り直して。
「ここ最近、堺の交易部門はカンナに任せきりだったが、調子はいいんだよな?」
「おかげさんで。去年、出羽国に新しい銀山が見つかったねえ、ちょろちょろ銀が掘られはじめたんよ。それで出羽の商人が堺にまで船で来始めたけん、京の都や近江、美濃、尾張の名物をたっぷり売ったんよ」
「ああ、金蔵に見慣れない銀がやたら転がっていたけど、あれ、そうだったんだ。へえ~」
カンナの説明に、五右衛門が何度もうなずく。
出羽の銀山、といえば阿仁鉱山か。
あれは鎌倉時代からときどき金が出た、銀が出たと騒ぎになるんだ。本格的に金銀銅が算出されるようになるのは江戸時代からだが、それまでも少しは出ていたらしい。……その銀が、堺に入り込みはじめたか。
「と言っても、出羽商人相手の交易利潤は、藤吉郎さんの朝廷工作のために全部使うてしもうたけど。……あのひと、じゃぶじゃぶ銀を使うけん。小一郎が嘆きよったばい」
「必要な使い方だ、仕方ないぜ。それで今回はどうするんだ。また出羽商人を相手にするのか?」
「うん、それやけどね。今回はね、ちょっと南蛮の品を仕入れてみようと思うてね。まずはここから、今井さんのところにいくばい」
「今井さんって、堺の今井宗久のこと? すごく偉いひとなんやろ? いきなり会いに行って、大丈夫なん?」
樹がキョトンとした顔をした。
カンナは、ふふんと笑って、
「大丈夫、ちゃんと今日会いたいって使いを飛ばしとるけん」
「そうやなくて。そんな偉い人が父上に会ってくれるん?」
「あっはっは、ほら見ろ、岐阜だけで育てるからこうなるんだぞ、弥五郎。娘がまるで父親の偉さを理解していない」
五右衛門が笑い飛ばした。
俺は苦笑しながら、「まあ、いいじゃないか。……さあ、早く行こう」と言って、伊与たちと一緒に今井さんの店に向かった。
「今井さん、お久しぶりです」
「おう、山田さん、蜂楽屋さん。これはこれは、お懐かしい顔ぶれで」
堺の大商人、今井宗久の邸宅である。
今井さんと会うのは、去年、長篠の戦いの少し前に会ったのが最後だったな。
「あのときは硝石や硫黄をふんだんに用意してくださり、ありがとうございました。おかげで武田に勝つことができましたよ。お礼を言うのが遅くなって申し訳ありません」
「いえいえ、織田様の勝利はこの宗久の願いでもございますから」
今井さんはニコニコ笑っている。
「さあさあ、まずは茶と菓子でもどうぞ、どうぞ。こちら、南蛮渡来のカステイラでございます」
「ありがたくいただきます。樹、カステイラは名前を教えたことがあるな? ……今井さん、こちら、私の娘です」
「ほう、どこか山田さんに似ていると思っていましたが、こんなに大きな娘さんが。これはこれは。今井宗久です。今後、お見知り置きくださいませ」
「あっ、は、はい。樹、と申します。……よろしくお願い、します……」
俺の後ろにいた樹は、明らかに慌てた様子で、ぺこりと頭を下げた。ようだ。
ようだ、というのは後ろにいるから俺からは見えないからだが、気配で分かる。
俺はそれから、カステイラをいただいた。
美味い。お茶とも合う。……ほんのりとした甘さは、砂糖ではなく蜂蜜を用いたか。この甘い味を出すのは戦国時代では大変なはずだ。こんなものを出してくれるとは、今井宗久、誠意が溢れているな。
「ところで蜂楽屋さんが、手前になにかご用だそうで」
「ああ、そうそう。今井さん、ちいと小耳に挟んだんやけど、いま堺には南蛮のもんが次々に入りよるとでしょう? このカステイラもそうやし、南蛮の青銅大砲、おまけに南京芋(じゃがいも)が届きよるって?」
「さすがにお耳が早い。南蛮の商船が次々と入ってきましてな。明やルソン、琉球の産物が、まず九州に届き、さらにその九州から堺に入ってきております。南京芋もまずは肥前に伝来し、それからようやくこちらにポツポツ届きだしたところで」
「それほど盛んですか」
俺はふたりの会話に入った。
「ガスパル・ヴィレラも世を去ったというのに」
そう、かつて俺たちと話したあの宣教師、ガスパル・ヴィレラは、いまから4年前に亡くなっている。
「あの方もなかなか、うまく布教ができませんでしたな。天竺に渡って、その地で病を得たとのことです。お気の毒なことで。……しかしガスパルとはまた別に、南蛮人が次々と来ているのは事実ですぞ」
「それよ、今井さん。南蛮の珍しいものを、出羽商人に売るとたい。いまならあっちは景気が良うなりよる。神砲衆と会合衆で、出羽と南蛮船を仲介して、利を得る。それがこのあたりの描いた絵やけど。……どう?」
「ほう。耳寄りな話ですな」
今井さんは、身を乗り出した。
「出羽商人が堺にやってきている話は聞いておりましたが、なるほど、それと南蛮を結びつけましたか。それは面白い。……しかし」
すぐに今井さんは、腕を組んで、
「……いや、ですが、出羽の商人に、南蛮の品を買い求める金がいかほどありましょうか。なるほど銀山が開かれた噂は手前も聞いておりましたが、それだけでは――」
「……。……銀だけではなく、出羽の米を仕入れてはいかがでしょう」
俺は口を開いた。
「出羽の米を?」
「これから織田と毛利が戦になります。ならば畿内の米は自然と足りなくなる。相場が上がる。そこへ出羽の米を売るように話を持っていけば、出羽商人は儲ける。我々も儲ける。さらに言えば、ここで織田家にだけ米を安く届けるように手配すれば、上様(信長)から今井さんと我々に対する覚えも、いっそうめでたくなります」
「……ほう!」
今井さんは目を丸くした。
俺はさらに続けた。
「そしてここだけの話ですが、織田家はまもなく、石山本願寺と戦を始めます」
「なんと。織田様と本願寺といえば、昨年に和議を結んだばかりのはず」
「公方(足利義昭)ですよ。毛利に庇護された公方は本願寺と繋がっている。そのために織田様と本願寺はまた戦いになるのです」
「それは知らなかった。なにやら臭い気配はしていましたが、手前は気付かなかった! ふうむ、さすが上様の覚えめでたき山田さん。よくそのことをご存知で!」
今井さんは絶賛したが、……なに、いつもの俺の歴史知識だ。
まもなく織田信長と石山本願寺の戦いが始まる。これは歴史的事実だ。俺が信長や秀吉から聞かされていたわけじゃない。
だが俺が語ったことはデタラメでもない。
織田と本願寺、毛利が戦いになれば米が不足し相場が上がる。
そこに出羽商人が米を持ってきて儲ける。その儲けに対して南蛮の品々――特に青銅の大砲などは受けるだろう。これらを売れば、南蛮商人も、仲介役の我々も儲かる。
「話がまとまりそうですね、今井さん」
「ううむ、まったく良い儲け話を聞きました。さすがは山田さん! ではその話、さっそく進めましょう」
「よっしゃ、こっちもやろう。あたし、出羽商人に話をつけるけん。任せとき、しっかり話はまとめるけんね!」
こうして今井さんとカンナと俺とで、商談を進めることにした。
その後、今井さんの店を出た瞬間、樹は目を丸くして、
「……父上、すごい人やったんやね」
「だから言っただろう。父上は凄い、と。これからもっとよく父親を尊敬するように」
「日ごろから尊敬するように教育しときなよな~。子供は親を尊敬したいもんだよ、普通はね」
「五右衛門が言うと説得力があるぜ。……よし、商いはうまくいきそうだ。これでまた儲かるな!」
その後、俺たちは堺にしばらく逗留し、やがてやってきた出羽商人も交えて商談を交わすことになる。話はトントン拍子で進み、あとは出た利益をどのように分配するかということで、神砲衆と会合衆の間で何度も話し合いが重ねられたのだが、――やがてある日の夜。
「俊明、岐阜の次郎兵衛から知らせが入った。お前の言った通り、石山本願寺と上様の間で戦が始まった」
「来たか!」
俺はもう寝床に入っていたのだが、伊与の知らせを聞いて、がばっと跳ね起きた。
隣のカンナが「むにゃ。なになに~」と呑気に眼をこする。
「上様は、明智光秀殿や荒木村重殿に命じて石山を攻めるおつもりらしい。神砲衆にも出陣の命がくだった。次郎兵衛がいま、80の兵を連れて上様の本陣に加わっている」
「次郎兵衛はいい忍びだが、兵を采配する才はない。……伊与、石山に行ってくれるか? 俺とカンナは商いの話をまとめないといけない」
「もちろんだ。元よりそのつもりでいた。……ところで俊明」
「どうしたんよ、伊与。そんな怖い顔をして……」
伊与は、本当に深刻な顔をして、周囲に人が居ないこと確かめると、俺とカンナに顔を近付けて、小さな声で、
「やるなら、いい機会だぞ」
「なにがだ」
「忘れたのか。明智殿のことだ」
俺は目を見開いた。
カンナも、目が覚めたような表情である。
「戦のどさくさに紛れてやれば、いかに明智殿といえど斬るのは容易い。……俊明、お前の命令ひとつで私はこの刀を血に染める」
「伊与。……そこまでの覚悟か。お前が、刀を血に、なんて」
「いまさらだろう。さんざん人を斬ってきた私だ。名も知らぬ足軽だろうと、明智光秀だろうと、命は命。私の手はとうに汚れている。……それよりも、明智のことだ」
「…………」
「上様を助けるんだろう? 歴史を変えるんだろう? ……だったらいまが好機だ。そうじゃないか、俊明……?」
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