第四部 第四十三話 軍勢三万の足止め

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第四部 第四十三話 軍勢三万の足止め

 武田信玄率いる武田軍によって、野田城が完全包囲されたのは、元亀4年(1573年)1月17日のことだった。  わずか500人の兵が立てこもる野田城を、武田信玄の軍30000が包み込む。  そんな野田城に、俺たちが入ったのは、1月16日。  そう、武田軍が野田城を包囲するまさに前日だった。  先回りして野田城に入った俺たちを、城主である菅沼定盈は手を叩いて迎え入れてくれた。 「織田よりの援軍、有り難し! それも、おひとりおひとりが一騎当千の猛者ばかり。甲賀の滝川どのに和田どの、槍の又左どのに鉄砲の佐々どの、津島衆の蜂須賀どの、金ケ崎で勇名を馳せた明智どの。今孔明と名高き竹中半兵衛どのに、木綿藤吉こと木下どの、そして神砲衆の山田どのまでおられるとあれば、これはもはや鬼に金棒!」  菅沼定盈は、野田城の城門までやってきて、ニコニコ顔で俺たちを出迎えてきてくれたのだが、――やがて俺たちを引き連れて、城内の一室に入ると、すっと真面目な顔になり、松下嘉兵衛さんに視線を送り、 「松下どの。……正直におうかがいしたい。援軍は、これだけでござるか」 「これだけだ。これ以上の後詰めは、織田からも徳川からも、ない」 「……むうう」  菅沼定盈は、渋い顔を作る。  そんな彼を見て、小一郎はキョトンとした顔をして、 「なんですか。つい先ほどは、あんなに嬉しそうに私たちを歓待したのに――」 「兵の手前、ああ言わざるをえないのです」  半兵衛が、告げた。 「野田城にこもる500の兵の士気を上げるために、我らのことを持ち上げた。しかし本音で言えば、いかに勇者が揃っていても、しょせん我々は10数名の小集団でしかない。だから菅沼どのは落胆しておられる。援軍を、せめて1000人ばかりでも連れてきてほしかった、と」 「む、さすがは竹中半兵衛どの。よく、わしの内心をくんでくだされた。まさにその通り。……織田どのは、なぜ援軍をもっと寄越してくださらぬ。いくさは数でござる。万を超える武田軍を相手に、このままどう戦うつもりでござるか」 「数でやらぬいくさもあります」  さらに続けて半兵衛は、涼しい顔で言った。 「拙者はかつて、16人の兵のみで、稲葉山城を落としたことがござる。それを思えば500人の兵は多すぎるくらいでござる」 「む。……されば今孔明どのにうかがおう。どのようにして、この城の兵500だけで武田軍を打ち破るのか」 「ふむ。ではここから先は、山田弥五郎どのに話してもらいましょう。山田どの、よろしいですか」  半兵衛の言葉に、俺はうなずいた。 「我々には策があります。信玄入道を討つ策が」  そう言って俺は、松下嘉兵衛さんと五右衛門に目をやった。  ふたりは、大きくうなずいた。すでにふたりは、作戦を理解していた。 「一番手は松下さんと五右衛門です。まずはこのふたりに一働きしてもらう」  俺たちが打ち合わせを行った翌日。  武田軍は、野田城の前に現れ、こちらを完全に包囲してきた。  敵は30000。こちらは500。力攻めをされたら、城はすぐに陥落してしまうだろう。  だが、そんな武田軍に、噂が流れた。 「織田の援軍が、野田城に入ったらしい。滝川一益や佐々成政、前田利家、山田俊明といった者たちが、野田城に入り込んだ。人数は少ないが、曲者揃いである」  噂を耳にした、武田軍の首脳陣は、ただちに調査を開始。  結果、その噂が事実であると判明した。 「織田軍め。いつの間に野田城に入り込んだ」 「なぜ、武田家(われわれ)が野田城を攻めると分かったのだ?」  武田軍の首脳陣は、首をかしげたようだ。  武田軍が野田城を攻めるのが分かったのは、俺が未来からの転生者だからだが、もちろん武田軍がそんなことを知る由はない。とにかく、俺たち織田家の面々が野田城に先回りしたことは、武田軍にとって不気味であった。  そして、さらなる噂が武田軍の間に広まった。 「武田軍の中に、裏切り者がいるようだ」 「織田軍が野田城に先回りできたのも、その裏切り者が漏らしたらしい」 「武田軍が野田城を力攻めしたが最後。織田軍は武田軍を倒す策略があるらしい」  噂は、しょせん噂。  しかし、まるっきり無視できるものでもない。  慎重な性格の武田信玄は、この噂を切り捨てることはせず、 「野田城はじっくり攻める」  と宣言した。  そして、その言葉通り、武田軍は自軍に従えた金山堀(きんざんほ)りの者を使って、野田城の地下を掘り、こちらの水の手を断とうとしてきたのだ。――武田軍のそんな動きを聞いた俺は、隣の藤吉郎と共にニンマリと笑った。 「弥五郎。汝の策がはまったのう」 「五右衛門と松下さんのおかげだ」  俺は、野田城内の櫓から、城を取り囲んでいる武田軍を睨みつけつつ、そう言った。 「あのふたりが、良い働きをしてくれたからさ」  ――そう。  武田軍に、噂を広めたのは、五右衛門と松下さんだったのだ。  いま、武田軍には、駿河国の兵が数多く従っている。永禄12年(1569年)に戦国大名としての今川家が滅亡し、その領国だった駿河国はいま、武田家の支配下にある。駿河兵が多くいるのは、そのためだ。  その駿河兵だらけの中に、五右衛門と松下さんは、ごくすんなりと忍び込めた。  もともとが今川領で育ったふたりだ。言葉や立ち振る舞いが、ごく自然と今川風であり、駿河なまりの言葉だって、苦も無く使える。その上、父親譲りの泥棒技術を持つ五右衛門だ。  潜入も、噂広めも、ふたりは見事にやってのけた。  その結果、武田軍は野田城で動きを止めたのだ。  まして、俺たちが野田城に入ったのは事実である。  武田軍の中に裏切り者がいるだの、織田軍には策略があるだのは大嘘だが、 「大量のウソの中に、ひとつだけ真実があれば、他のウソも本当のことに見えてくるもの。さすがの武田信玄といえど、今回の策は見抜けなかったようだ」 「見事です、山田どの。半兵衛、貴殿の知略に感服いたした」 「感服するのは、信玄入道を暗殺してからにしましょう。すべてはそれからです」 「まったく。――人間ひとりの死を、これほど望む日が来ようとは……」  俺と半兵衛の会話に、明智光秀がすっと入ってくる。  このひとが『人間ひとりの死を望む』なんて口にすると、どうしてもギョッとしてしまうが……。 「山田よ。お前さんのことだ。ここまで来たら,信玄を殺す策も、当然あるんだろう?」  滝川一益が言った。  俺はうなずいた。 「笛の音を使う」 「笛の音だと?」 「そうだ。武田信玄は、笛を好む。そこで」  俺は、声を落ち着かせつつ言った。 「これから毎晩、野田城から笛の音を流す。そうすれば、信玄はいつか笛の音が気になって、城の近くまでやってくるはずだ。そこを俺の鉄砲で狙い撃つ」  これについては、伝説があるのだ。  武田信玄が野田城を攻めたとき、毎晩のように笛の音が城の中から聴こえた。  笛を愛する信玄は、その音を聞くために城の近くまでやってきて、――そこを鉄砲で狙撃された、という伝説。……俺はそれを、この場でみんなに語ったのだ。  だが、俺がこの作戦を口にすると、滝川一益はちょっと眉をひそめて、 「信玄入道が笛好きなのは、オレも聞いたことがある。だが、だからって、いくさの最中に笛の音に酔いしれるほど、あの生臭入道は馬鹿じゃあるまいよ」 「ふむ。そもそもあの万を超える大軍の中にいる信玄に、笛の音を届けることができるかのう」  滝川一益だけでなく、藤吉郎まで俺の案には懐疑的だった。  だが、ふたりのそんな反応を見て、俺はむしろ笑った。 「ふたりがそう思うのなら、いっそう俺の策は成功する。……いや、むしろ策というよりは道具かな。……良い道具があるのさ。この状況を打開するために、俺が作った道具がな!」  俺の言葉に、藤吉郎と滝川一益。  日ごろ、折り合いが悪いこのふたりが、思わずお互いに顔を見合わせた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー お久しぶりです。作者の須崎正太郎です。 ずいぶん長いこと、更新をお待たせして申し訳ありません。連載再開いたします。 そして再開早々にお知らせです。 「戦国商人立志伝」、ASMR化します! いわゆるボイスドラマをやります。ヒロインの蜂楽屋カンナとラブラブになる音声ドラマをやります。 脚本は須崎正太郎書き下ろし。 カンナの声優は陽向葵ゅかさんに担当していただきました。 時系列的には、第2部と第3部の間になるお話です。 すでにドラマの『試し聞き』もできます。ぜひカンナの声を聞きにいってください。 須崎正太郎のブログに詳細を書いていますので、アクセスしてくだされば幸いです。 「戦国」第3巻も、発売予定です。 よろしくお願いします。
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