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いくつもの洗濯ロープの下をくぐると、海へと繋がっている、この都市で一番大きな川に辿り着きました。彼女は舟を川岸に寄せました。
「ほんの少しの間だったわね」
彼女はブーゲンビリアの花束から、一房ちぎりとって微笑みました。
「ほんの少し、というのはとても未練がある言い方かしら。あまり私らしくない言い方。……なら、なんて言えばいいかしら。輝かしい日々、も大げさだし」
一房、また一房。次々に彼女はブーゲンビリアをちぎり、ボクの体へのせていきます。
「私も、重症なのかしらね」
首元までブーゲンビリアに埋まったボクは、彼女を慰めることができません。けれどそのときボクは気がついたのです。ボクも彼女も重症のサインを持っているということに。それは大きな発見で、かけがえのないものでした。見ることのできない信号がボクたちの心臓を貫いていたのです。
「隣にいてくれて、ありがとう」
彼女の舟とボクの舟を繋ぐ若草色の布が解かれました。川の流れは緩やかに見えましたが、ボクらは確実に離れていきます。
彼女の後ろには蒼空が広がっていました。でも、彼女が言っていた本当の意味での蒼空を、ボクは認識することができません。最初から、彼女が身につけている若草色も、ボクを包む赤いブーゲンビリアも、すべてボクから見える「色」であって、彼女と同じものが見えることはなかったのです。どうしたってボクは彼女とは違ういきものだから――一人の人間ではなく、一匹の猫だったから、彼女とまったく同じ世界を共有することはできなかったのです。見えるものが違って、言葉も違って。それでもボクは送り舟に揺られながら、彼女が好きだけれど憎らしくも思うと言っていた空を眺め続けて感じたのです。
この空をボクと彼女は違う視界でしか見つめられない。そうであったとしても、なんて綺麗な蒼空なんだろう、と。
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