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その日は雲がほとんどなかったと思います。空は高く、ふたが大きく開け放たれたオルゴール箱の中にいるようでした。窓からは太陽の光が降り注いでいて、彼女がカンナを滑らせる音がすぅるり、すぅるりと微細な強弱を宿してボクの耳に届きます。眠たくなってほう、と一つため息をつくと、ふいに彼女が来客用のソファに座ったボクのところへやってきました。
「眠りたいの?」
ボクはもう眠ってしまっているような気分でした。彼女は少し身を屈めて窓の外を伺います。
「空の蒼さは好きだけれど、私、少し憎らしくも思うのよ。空を見つめていると、たましいを引っ張り上げられるような気がして、うるさいなぁ、急かさないでよって言いたくなるの」
ボクの座っているソファの縁に腰掛けて、彼女は続けました。
「この都市の水路は死者で溢れているけれど、それでもあなたはここが好きだった? 蒼すぎる空をしたこの都市が」
その声は夜明けに生まれた影のように悲哀を含んだものでした。そして、彼女はそっとボクの肩に触れました。
「やっぱり、空が蒼すぎると生き物は死にたくなるのかしら」
彼女の細い指先が頬をなぞり、まったく瞬きをしなくなったボクのまぶたを閉じました。ボクの視界は暗闇に包まれました。
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