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そんな顔は初めて見る。いつも花のように穏やかに笑っていて爽やかで―――
「だがそれもいい」
「……何言ってるんです?」
「やっ何でもないですっていうかなんでまた抱きつこうとしてるんですか」
「最初にしてきたのはそっちじゃないですか」
「そうだけど……予想外っていうか」
「そういう反応されると、ますますしたくなりますね」
ふふ、と今度こそ天使のように笑った彼女が俺へ近づいてふわりと身体を寄せてくるのを、まるで映画を見ているかのような錯覚に陥った。……が、寸前で動きは停止した。
どうしたのかと声をかけかけると、彼女がそっと俺を仰ぐ。
(いや待てそれはマズイ)
特に上目遣いに弱いとかそういう性癖はない。
でも彼女に初めてされた上目遣いの破壊力はマズイと瞬間に察知し、何てことのないふりをして俺も明後日の方向を仰いだ。
「ど、どうしました?」
「えっと……ここ、玄関…なので…」
「あ」
すっかり頭から飛んでいた。
狭い玄関で抱き合っているのもまたオツかもしれないが、さすがに立ったままだし疲れも伴う。
「入りましょう?」
「あ、ハイ、そうですね」
モタモタしている間に彼女にリードを取られてしまった。
どうしても彼女の前では格好つけかけてもすぐにボロが出てしまう。
誰よりも格好良くいたいのに。
トタトタと俺よりも軽くて歩幅の狭い足音が、狭い廊下を歩いていく。
それに未だ慣れずにいる。
手を伸ばせば届く距離に居るのに、つかまえてしまったら最後するりと俺の元から消えてしまうんじゃないか、なんてらしくない不安ばかりが募っていた。
今も何ら変わっていない。
だけど、微かに揺れる小さな手の指を絡めてしまった今、きっともうすぐ一緒に居られなくなることはわかっていた。
だからもう、後悔はしたくない。
「マキさん」
「……え? あっ、はい、何で」
答えるために捻りかけた彼女の身体から伸びた腕。
細い手首を掴んで、戸惑いの声をあげた彼女を無視して俺は向かった。
一度も入れたことのない、俺の部屋へ。
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