プロローグ

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ふと、千鶴の脳裏に映像がよぎった。 あの事故の日の朝──8月12日。 学校は夏休みで、千鶴も修有も家にいた。 朝から蒸し暑い日だった。 窓を開け放ったリビングには珍しく父がいた。ソファに座って新聞を読んでいた。既にスーツを着ている。おそらくこれから仕事なのだろう。航空業界はサービス業だ。世間一般はお盆休みだが、盆も暮れも正月も関係ない。 修有はキッチンのテーブルで漫画を読んでいた。母は食器を洗っている。 日頃からあまり会話はなかった。特に、不在であることが多い父とは、滅多に話さなかった。話すことがなかった。 だから、父の言葉に、みんな驚いたのだ。 「来月、ちょっと休みを取ったから、みんなで海にでも行くか」 新聞に目を落としたまま、まるで独り言のようにそう言ったのだ。家族で出掛けようなどと、千鶴が覚えている限り、あった試しがない。 驚きのあまりみんながぽかんとしていると、 「どうだ、修有、海より山がいいかな」 そう言いながら、今度は新聞で顔を隠してしまった。隠しきれなかった耳朶が真っ赤に染まっていた。 そっと修有を横目で見ると、漫画を睨み付けたまま、修有の耳朶も真っ赤だった。 不在がちな父、お嬢様気質の母、反抗期に入った修有──ウチはみんなバラバラだ、と思っていたが、案外そうでもないらしい。 父にコーヒーを淹れながら、年々そっくりになっていく父と弟に、千鶴は小さく笑ったのだった。 まさかそれが、家族4人の最後の光景になるとは、誰もが夢にも思っていなかった。
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