第6章:厄落とし

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第6章:厄落とし

 マドリッドの古い建物と公園、繁茂する街路樹、石造りの冷たい街の印象が何故か不健康で退廃的だった。達也には墓場の建ち並ぶ美しい公園を歩いているような気がした。  スペイン人は過去の栄光に胡坐をかいてか、又はその重圧に耐えかねてか、牙を抜かれた獣のように戦意を無くし、じっと傷口を舐めている様子だった。 過去の栄光を飯の種にして、墓場の番人のようにひっそりと静謐に生きていた。達也が過去に南米で見た、明るく積極的な太陽の末裔達の活力は消えうせ萎んで見えた。  何か自分を奮い立たせてくれるものはないかと、冷たい石造りの町を当て所なく歩き回り、ふと気が付くとプラサ・エスパニアの広場に出ていた。公園の片隅に大型のバスが停まり、着飾った男女の客を招きこんでいた。 《カジノ……だ! これからの運試しだ》達也は躊躇わずにバスに乗り込み、二八キロも離れた郊外のカジノに向うバスの振動に身を任せた。  鄙びた田舎のカジノ御殿、そんな形容がぴったりのカジノだった。ラスベガスと比べて客質は比べようもなく悪かった。大金を賭けている達也の傍らで、達也のカードを引いて、挙句に沈没していく若い男女に舌打ちしながら、勿体ぶったスペイン人のディラーに苛立った達也は強引な賭けをして大金をすった。取り返そうと焦れば焦るほど、深みにはまっていく自分を嘲りながら、達也は三万ドルを捨てるまで席を立たなかった。 《厄落としだ! これで俺は生まれ変わるぞ……》黒山の人だかりのなかで最後の勝負に負けた達也は静かに立って出口に向かった。 《もう、これでギャンブルはやめよう……》達也は心に固く誓うと、タクシーのシートに身を沈めた。  未明のハイウエイをホテルに引き返し、寒い独り寝のベッドに身をくねらせた。幼い娘の可愛い顔を思い出し、己の不甲斐なさを笑った。多くもない大事な路銀の大半をギャンブルですって、寒いヨーロッパの荒野を放浪している父親を娘が知ったらどう思うだろうか?  《お前は何を求めて何処へ行こうとしているのだ?》 自分を責める悔恨の念に駆られて安ホテルのベッドは、孤独と不安、骨身に沁みる氷の海に変わり、達也はその孤独と寒さにのたうった。  暖かいカリフォルニアが無性に恋しかった。今の達也に許されているのは、遠い甘い記憶を意識の底で反芻する事だけだった。
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