第1章、息子の死と離婚

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 達也は荒んでいた。夜の帳が下りると、混沌の海に漕ぎ出し、暁闇、酒と失意に塗れて帰宅し冷たいベッドに転がって眠った。  強い刺激と快楽のみが達也を支配し、明日の事はもうどうでも良かった。  営々として築き上げた会社の信用も、実績も、今はもうどうでも良かった。妻と折半した住宅や株券の半分も日毎夜毎の放埓で残り少なくなっていた。  金は天下の廻り物、自分で興した会社を自分で潰して誰に気兼ねが要るものか、フリーウエイをカシノに向けて走りながら、意識は既に博打場の熱気の中に埋没していた。  プロのギャンブラーを相手に勝ち続け、一〇〇ドルチップの小山を掻き寄せるとき、自分の孤独で悲惨な人生を一瞬忘れることが出来た。  自分が不惑をとうに越え、天命を悟る年齢に達しているのに、人生が何であり、如何に生きるべきか、という事が判らなかった。  酔いが醒め、ギャンブルで大穴をあけた奈落の底で込上げる自嘲と悔悟の嵐の中で自分を責めていると、誰かが自分を呼んでいる声を聞いた。 『パパ、しっかりしなきゃ駄目よ……』別れた四才の娘が叫んでいるような幻聴に、達也は自分を取り戻し、とにかく、これではいけないと、新しい生きかたを求めて焦っていた。動物的勘というのか、ここにいては駄目だという危機感が本能的に達也を突き動かした。  突然の妻の造反、幼い娘を連れて、夫の自分に何も告げずに失踪してしまった妻の安否は、三日後妻の実家からの電話で判明した。妻の胎内にいた妊娠三ヶ月目の待望の男の子は、父親の達也の承諾も無く、堕胎されていた。  姑から知らされた妻の殺人行為とも言うべき知らせに、受話器を持つ右手にぼたぼたと涙が滴った。《絶対許すものか》と、妻を呪い離婚を決意したものの、やり場の無い怒りと、捨て場の無い悲しみに苦しんだ。息子の無念さを考えるとその母である妻の氷のような無慈悲さに慄いた。  俺が何をしたのだ。考えられる理由は、ビジネス・パートナーに自分の実弟一家を米国に呼び寄せようとしたことだ…妻はそれに反対だった。然し事業規模の拡大には信頼の於けるパートナーが必要だった。妻の突然の帰国に、敏感に事情を察知した弟は勤めていた会社の退職願を急遽取り下げ、事なきを得た。  遠い日本から伝わってくる狂気ともいえる妻の行為に、男の影と冷たい義父や義母の意志を感じざるを得なかった。
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