第11章:アルハンブラ宮殿

8/10
前へ
/66ページ
次へ
役人を父に持って育った妻は、不安定な自営業の暮しも、人気の荒いアメリカの生活も気に染まない様子だった。明るいカリフォルニアの生活に慣れ、喜びを感じて呉れると信じ、若さに任せて強引に米国に連れて来てはみたが、親から刷り込まれた妻の価値観は簡単には変えることは出来なかった。 何かにつけ、『親が傍にいれば……、とか一緒にいればどんなに幸せだろうか』とか、娘が生まれて、これで妻も立ち直ってくれるかと期待しても、『この子を親に早く見せたい』という願望のほうが強くて、夫婦という信頼関係を構築する事が出来なかった。 「良く相性の悪い夫婦を、〝水と油〟というでしょう。互いに混じり合わない、それが僕達夫婦の状態だった。厳格な家庭に育った妻は聡明で、十人並以上の器量で、理性的な女でした。日本人の女の理想像に近い、控えめで器用で、何でもこなす、僕には過ぎた女房だったのかもしれません。でも他人から見たら理想的な女房でも、夫の私は年をふるごとに妻への不満や憎しみを増大させて行ったのです」  妻の抱く自営業への不満、異国に住む不安と寂しさ、愛する両親や家族との別離、子供の出来ない不安、様々な妻の不安に達也も動揺し、実体の無い影に怯える妻を不憫に思いながらも、じりじりと苛立ってゆく達也だった。《日本に帰りたい》妻の口癖は達也の耳に不幸を予感させる呪文のように聞こえた。 アメリカへの永住を恐れてか、頑なに家の購入を反対する妻、こちらの事情も考えず、一方的に娘の里帰りを要求してくる世間知らずの義母、そして自営業の仕事に追われる夫を残して一ヶ月も帰って来ない妻、愛に包まれていた二人の仲が段々色褪せ、互いに無関心になっていく過程……愛の終焉が間近に迫っているのを知っていながら、何も出来ない二人、気が付いていながら愛の葬送曲を、他人事のように聞いていたのである。 「もっと快活で、明るく朗らかに生きてくれ、と言う素朴な希望が、何時しか妻への不満となって……性格の不一致が情緒的・肉体的な不満と重なって、味気ない夜の生活を送るようになってしまった」 「勝手な理屈ね、男のエゴだわ、何故彼女と結婚したの?」 「今になって考えると、僕は彼女が育ったまともな家庭、そのなかで純粋培養された良家の子女との結婚に憧れていたのだと思います……」
/66ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3人が本棚に入れています
本棚に追加