第12章:子はかすがいか?

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 日本に帰りたい。両親と共に暮したいという帰国願望の意識がそうさせたのか、妻は娘に日本語しか教えていませんでした。迂闊にも父親である私は、その重大さに気付かず、放置していたのです。  妻は英文科卒なのに、アメリカに住みながら語学学校にも通わず、近隣のアメリカ人家族とも付合わず、徹底してアメリカ人との親睦を拒みました。付合うのは少数の日本人駐在員の奥さん連中やその子供さんぐらいで、妻の徹底した帰国願望に沿って育てられた娘は、英語の簡単な会話さえ出来なかったのです。   幼稚園で、意思の疎通の出来ない娘はストレスに襲われて怒りっぽい子になったようです。突然立ち上がって『ぎゃーっ』と、大声で叫ぶ。という話を妻から聞かされて、私は腹立たしい気持ちで妻の顔を眺めていました。 《それはお前がそうしたんだ……》という言葉を押さえながら、この妻にもう少し明るい気持ちと大きな度量があったなら、家族はもっと楽しく生きていけるのに、可愛いい自分の娘なのに幼稚園に行く準備さえさせていない妻の浅墓な短慮を情けなく思うばかりでした。 妻は娘がこの国の言葉に馴染んでしまったら、もう日本に帰るチャンスは無い。と勝手に思い悩んでいた様です。 「奥さんの気持ち判るような気がするわ、異国の土地で愛する夫から冷たくされたら肉親の元に帰るしかないじゃない」  麻里は同性の妻に軍配を上げながら、 「でも、夫婦の相克は結局自分や愛する娘さんまで傷つけることになってしまうのね……」  と、手を揉みながら目を瞑り、まるで心の痛みを消し去るような表情をした。 「歩こうか?」   爽快な風が坂の町アルバイシンの街を埋める紅葉した木々を揺らしながら吹いてくる。二人はその美しい光景に見惚れる様に足を止めた。 「あの山の向こうに雪を乗せて光っているシエラ・ネバダの水を集めてこの城まで水を引いているんだ。砂漠の民は聡明で努力家だったのです。」 「あんな遠くから……」  麻里は感嘆したように頷くと、暫くして達也に催促した。 「続けて、あの話し……」 「離婚か永住か? 日本か米国か? 日本で自分の帰りを待つ老いた両親、娘の教育等、自分がどう生きて行けば良いのか、どんな選択をすれば良いのか、真面目な性格の妻だけに苦しんだと思います。妻は離婚の道を選びました。私に出来ることは彼女の希望する道を邪魔しない事でした。
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