第2章:憧れのエスパニア

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第2章:憧れのエスパニア

一九八九年十月、シカゴ経由でスペインのマドリッドに着いたのは、秋雨煙る朝だった。マドリッドの中心に位置するグランヴィァ街に宿を取り、古い粗末なホテルの部屋から通りを見下ろした時、深い落胆に襲われて思わず溜息を漏らしてしまった。  あれほど思い憧れた情熱の国スペイン、その首都マドリッドにようやく遣って来たのに、見るもの、聞くもの、思い描いてきた姿とはひどい違いだった。  耳に心地よいスペイン語、南欧の太陽に育まれた美しい大柄のスペイン娘、そんな期待が強く、胸高まる思いで大西洋を渡ってきたのに、空港を降りたとたんに目にしたのは、ハイエナのような目をしたジプシーの群れと暗い汚れた町並みだった。人々は生活に疲れ余裕のない顔をしていた。物価は高く、ホテルは不潔でサービスは悪く、更に外国人と内国人の二重価格で、同じ部屋でもスペイン人の三倍は取られた。 《糞っ垂れ!、この田舎野郎! イーホ・デ・プッタ・マドレ!》  達也は言葉だけは丁寧なクラークに笑顔で対応しながら、その仮面の下に隠れている、ふてぶてしさに思いきり心のなかで罵倒の言葉を投げかけた。  部屋に入りバスタブの御湯の蛇口を捻ると細い滴のような水が出たのみで、シャワーを浴びることも出来ない。 《アメリカが快適だったのは当たり前じゃないか、自分を鍛える為に遣って来たのに……》楽な事や甘い事ばかりを探している自分に気がついて、達也は自分が嫌になった。  自分を鍛え、錆付いて動かないエンジンを再始動させるために遣って来たのだ。スペインに行くのは、何か神の指図のような気がしたのに、もう寒さと不便さ淋しさに挫けそうな自分が情なかった。 《それにしてもこのホテルの酷さはどうだろうか? 安宿といっても。八千ぺセッタ(七〇ドル)は決して安くは無い。草臥れたベッド、満足に湯も出ない狭い浴槽、白黒の小さなテレビ、EC加盟に揺れているスペインは物価高だけが先行して、ホテルも食事も驚くほど高い……》  達也はベッドに横たわり、天井に蠢く光の縞に語りかけるように独りごちた。
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