第4章:べアボーン・オペレーション

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第4章:べアボーン・オペレーション

当時、達矢はシカゴの有名ガム・メーカーの事業本部長として日本に赴任し、戦後三十年経っても、日本市場に浸透出来ない根本的理由の調査と、これからの打開策をリサーチするという特命を本社から受けていた。 理由は二つあった。一つは日本支社長が日本人ではなく工場のあるマニラのヒリッピン人が社長を兼務していたことである。 月に一度しか日本に出て来ない社長を良いことに前任者の事業本部長はトンネル会社を作り、愛人をその社長に仕立てて商品をごっそりと横流し、毎年五千万円に及ぶ赤字をシカゴ本社が補填し続けていた。 事情が発覚して前任者は首になっていたが、残っていた営業部長や課長達共同正犯が未だ社内にごろごろしており、その整理・片付けも達也の大きな責任だった。 もう一つの理由はアメリカ式株主優先のマネジメントだった。主力製品はカリフォルニアとヒリッピン工場から輸入しており、日本に生産設備工場を持っていなかったことである。 米国のマネージメントは投資は短期間に回収しなければ、その査定や評価に悪影響を及ぼすので、日本の競合他社のように長期投資計画は立てようが無かったのである。自分の任期中にその市場の中枢に浸透し、独占的な占有率を確保するということは、日本のように競争会社が存在する市場では、ヒット・アンド・ランの目先の成功は望むべくも無かった。 日本に工場を建て、日本人の好みに合わせた商品を提供しなければ日本市場に浸透し、成功することは出来ないのは明白だった。それには工場建設と十年、二十年を踏まえた長期的展望に基づいた投資が必要だった。 達也はシカゴに球場やツインタワーを持つ老舗の社長宛てに〝日本撤退か最低五百万ドル強の長期投資か″という英文のリサーチ結果を書いて送った。
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