第5章:念願の工場経営

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第5章:念願の工場経営

 シカゴの下した決定に反対の達也は、高給のリアイソン・オフイスのマネジャー職を断わって辞表を出し、米国(ステーツ)に帰って来たのである。達也は他の米国企業にエンジニアとして働き、八〇年になって独立し、念願の精密機械の製作工場を持つことが出来た。 小さいながらも夫婦二人で築き上げた会社の成功、経済的に安定して、広い芝生と杏の黄色く実るコージイな住宅も手に入れ、その幸せが長続きしなかったのは何が原因だったのだろうか?  不妊症の妻は治療の甲斐あって、結婚後八年目に漸く妊娠。 そんな苦労して儲けた娘に一生会う事も出来ない境涯になってしまった……記憶の断片を辿りながら、達也にはやはり愛娘との別離が一番大きなトラウマになっている事が判った。  離婚後の放心というか無気力と言うのか、達也は全てに関心を失って刹那的な毎日を送っていた。  しかしいつまでも放埓な生活を続ける事は出来なかった.。座して食らえば山をもむなし、瞬く間に破滅が襲ってくる。 自分を立ち直らせ、意欲的に生きる為に、眠っている自分に新しい生命を吹き込まなければならなかった。  ヨーロッパに行って、寒さ淋しさ、当て所のない心細さに塗れて見れば、昔自分が持っていたヴァイタリティを取り戻す事も出来ようと、自分を励ましイベリアの地まで来てはみたが、現実は想像を遥かに超越して、我が身をきりきりと責め苛んだ。 ホテル暮らしの不便さよりも、日毎消えていく百ドル紙幣の、その早さに不安は募り、優雅に暮していたアメリカ生活をつい思い出してしまうのである。スペインの物価がこんなに高いとは予想もしなかったことで、精々中南米程度だろうとの認識を大幅に改めざるを得なかった。  それに働きたくとも、ヨーロッパは労働許可書が無くてはまともな職に就く事も出来ず、ここでも自分の甘さを思い知らされるばかりだった。然しその反面、不安と裏腹に、自分を責める自虐感を楽しみながら、《お前さん、どうこの危機を乗り越えるのだい……》と、ニヤニヤ笑って眺めているもうひとりの自分を感じる余裕も持っていた。
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