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春期講習が終わりに近づく頃になっても、私は誰と会話するわけでもなく、ひとりで授業を受け、終わると真っすぐに帰るという毎日を過ごしていた。
変わったことがあるとすれば、英語の授業のある日が、密かな楽しみになったということかもしれない。
美しい字、少し低い甘い声、アンニュイな雰囲気。早川先生には綺麗という表現が似合う気がする。いつも見とれてしまっている私に、先生は気づいているだろうか。
授業が終わって、みんなが出て行くのを待ってから、カバンを持って席を立つ。
外はもう日が落ち、すっかり暗くなっていて、街路樹が春の強い風に吹かれ、葉を揺らしていた。
教室を出ようとドアノブに手をかけた瞬間、ドアが外側に引っ張られた。
小さく悲鳴を上げながら、目を瞑り、私は倒れ込む。
床にダイブする痛みを覚悟していたのに、なぜか痛くない。むしろ温かくて……。
「佐伯、悪いんだけど、どいてくれるかな」
耳に心地良い声に顔を上げると、私は早川先生を見下ろしていた。
「や、先生ごめんなさい!」
先生は私の声にびっくりして、慌てて大きな手で私の口を塞いだ。
「まるで僕が何かしたみたいな声を出さないで」
先生は苦笑いしながら、私を押し上げるようにして立たせ、自分も立ち上がり、服の埃を払う。
「ごめん、もう誰もいないと思って。怪我はない?」
覗き込むようにして言う先生と目を合わせることもできず、ただ頷く私は、多分耳まで真っ赤になっている。
一瞬フッと先生が笑ったような気がした。
「怪我がなくて良かったよ」
ポンと頭を叩いて、先生は私から離れた。
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