2.二人でお茶を―冬吾―

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「これはお父さんの本なんです」 「え?」 僕は小さく声を発すると、佐伯の持っている小説の表紙に目を落とした。 本の作者である芹沢進二は、出版される度に日本だけではなく、海外でもベストセラーとなる作家だ。デビュー作は有名な賞も受賞していて、小説を読んだことがなくても、彼の名前を知らない人はまずいないだろう。 独特の世界観と溢れ出す優しい文章。学生の頃、彼の本に出会ってから、僕もその魅力に取り憑かれたままだ。今でも、僕の家の本棚には芹沢進二の本がずらりと並んでいる。 芹沢進二は、私生活をほとんど公開しないことでも有名な作家だ。十年ほど前から海外に住んでいて、滅多に帰国しないと噂されているが、本当のところはどうなのだろう。 その芹沢進二の娘がここにいると思うと、なんだかとても不思議だ。 「芹沢進二が佐伯のお父さんということ?」 「……多分」 多分か。好きな作家のことだから、興味がないわけではないけれど、佐伯は生徒だし、これ以上踏み込むべきではないだろう。 僕は必要以上に馴れ合うのを避けるために、普段から生徒とは、個人的な話をしないようにしている。 「そっか、これ以上は訊かないから。余計なことを訊いてごめん」 佐伯はギュッと唇を噛みながら、瞳を潤ませている。思わず、理由を訊いてしまいそうになる自分を戒めるために、佐伯から目をそらした。 「わかった。これは僕が買うよ。だけど、佐伯が先に読んだらいいから」 そう言うと、驚いたように佐伯は顔を上げた。 「そんなの駄目です。それに、家には持って帰れなくて」 佐伯の目から涙が溢れた。それを隠すように彼女は慌てて目を擦る。 弱ったな。生徒を泣かせて何してるんだろう。 周囲の人が、チラチラと横目で見ているのを感じる。 「とりあえず、すぐ戻ってくるから外で少しだけ待っててくれるかな。いい?」 佐伯の肩に手をおいて、なるべく動揺しているのを悟られないように落ち着いた声で話しかける。 「わかりました」と、小さな声で佐伯は返事をし、俯きながら入口の方へ歩いて行った。 僕は急いでレジに本を持って行き、本の代金を支払う。
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